カラヤン

カラヤンの妻エリエッテ夫人、2人のご令嬢、実兄をご紹介!

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カラヤンの妻エリエッテ夫人や2人のご令嬢(イザベルさん・アラベルさん)、実兄ヴォルフガングさんをご紹介しております。

カラヤンは三度結婚しています。一人目がオペラ歌手のエルミ・ホルガーレーフさん(1938-1942)、二人目がユダヤ系のアニータ・ギューターマンさん(1942-1958)であり、三人目がフランス人のモデルだったエリエッテさん(1958-1989)です。2回の離婚を経験しているわけですが空白期間がないですね~。

カラヤンの最初の妻 ― エルミ・ホルガーレーフとは

基本情報

  • 名前:Elmy(Elmi / Elmy) Holgerloef(ホルガーレーフ)
  • 出身地:スウェーデン(ストックホルム出身とされる)
  • 生年:1906年前後と推測(正確な生年は不明瞭)
  • 職業:女優・舞台芸術に関わる仕事に従事していたとされる

1930年代のウィーンには北欧出身のモデルや女優、舞台人が多く集まっており、 エルミもその一人として、芸術・社交界の中で活動していたと考えられます。

カラヤンとエルミの出会い・結婚

出会いの背景

1930年代初頭、ヘルベルト・フォン・カラヤンはまだ20代後半の若手指揮者で、 ザルツブルクやウィーンでの活動を通じて徐々に頭角を現し始めていました。 地方歌劇場での仕事をしながら、社交界や演劇界とのつながりも広がっていき、 その中でエルミと知り合ったとされています。

結婚

  • 結婚年:1938年(カラヤン30歳頃)
  • 結婚当初、二人はウィーンの社交界で「若い芸術家カップル」として知られる存在だった。

この結婚は、世界的な名声を獲得する前のカラヤンを支えたもので、 キャリア初期の私生活を語る上でエルミの存在は欠かせません。

エルミ・ホルガーレーフの人物像

エルミ自身の詳しい伝記は多く残っていませんが、当時の証言や断片的な記録から、 次のような人物像が浮かび上がります。

  • 明るく社交的:北欧出身らしい落ち着いた雰囲気と知性を持ち、社交界とのつながりも広かったとされる。
  • 芸術への理解:舞台や芸能の世界にいたため、指揮者としてのカラヤンの仕事への理解が深かった。
  • イメージ面での支え:若手指揮者として社交の場に出る機会が増えていたカラヤンにとって、洗練された彼女の存在は大きなプラスだった。

二人の離婚

離婚時期

  • 離婚年:1942年頃
  • 結婚生活はおよそ4年程度と考えられている。

離婚理由と背景

公式に「これが理由」と特定された資料はありませんが、複数の伝記や回想から、 いくつかの要因が推測されています。

カラヤンの多忙と性格

1939〜1942年にかけて、カラヤンはアーヘンからベルリンへと活動拠点を移し、 ベルリン国立歌劇場などで一気に出世街道を歩きました。 完璧主義で野心家だった彼は、次第に私生活よりも仕事を優先するようになったとされています。

政治情勢の緊張

1938年のオーストリア併合以降、ウィーンの芸術界はナチス政権の影響下に置かれ、 空気は一変しました。北欧出身のエルミにとって、政治的・社会的な緊張の中で 安定した生活基盤を維持することは難しくなった可能性があります。

カラヤンの“スター化”による価値観のズレ

1941〜1942年頃、カラヤンはオペラ「トスカ」などを通じて、 一躍「時代の寵児」として注目を集めます。 その過程で、夫婦の生活リズムや価値観にズレが生じていったと考えられています。

離婚後のエルミ・ホルガーレーフ

離婚後のエルミについては、公的な記録や証言がほとんど残っていません。 そのため、彼女のその後の人生は大部分が謎に包まれています。

  • スウェーデンに帰国したという説が有力。
  • 芸術・舞台関係の仕事を続けていた可能性はあるが、名前が記録にほとんど現れない。
  • 再婚の有無や晩年の生活についても詳細は不明。

カラヤンの伝記においても、彼女との結婚生活や離婚後の詳しい記述は多くなく、 「政治的に難しい時代のプライベートな出来事」であったこと、 そして本人の意向もあって積極的に語られなかったのではないかと考えられます。

カラヤンにとってのエルミの意味

エルミ・ホルガーレーフは、「世界のカラヤン」になる以前の、 若き日のカラヤンを支えた重要な存在といえます。

  • キャリア初期を共にした伴侶:名声を得る前の試行錯誤の時期のパートナーだった。
  • 芸術家としての生き方への影響:社交性の高い舞台人として、カラヤンの社交界での立ち振る舞いや美意識にも影響を与えたと考えられる。
  • 後の妻アニア・マリアとの対比:1958年に再婚するアニア・マリア(アニタ)・グロースリッチは、国際的に著名な女性で、カラヤンの「世界的ブランド化」に大きく貢献した人物。その前段階として、エルミは内輪の世界で彼を支えた「若き日の妻」という位置づけになる。

まとめ

エルミ・ホルガーレーフは、若き日のヘルベルト・フォン・カラヤンの私生活と芸術活動を支えた、 しかし現在ではほとんど語られることのないミステリアスな存在です。

  • 北欧出身の女優として芸術への理解が深かった。
  • カラヤンがまだ無名に近い時代から支えた最初の妻であった。
  • カラヤンの出世と時代の激動の中で離婚し、その後は記録からほとんど姿を消す。

華やかな「ベルリン・フィルの帝王」としての姿だけでなく、 その前の、より人間的で等身大のカラヤンを知るうえで、 エルミ・ホルガーレーフの存在は静かに、しかし確かに重要な意味を持っていると言えるでしょう。

彼女は1983年に86歳で生涯を終えました。心不全とのことです。

カラヤンの2番目の妻 ― アニータ・ギューターマンとは

基本情報

  • 名前:Anita Gütermann(アニータ・ギューターマン)
  • 生年:1917年
  • 出身:ドイツ・バーデン地方
  • 家柄:工業財閥「ギューターマン家」の令嬢(世界的なミシン糸メーカー)
  • 職業:公式の職業記録はないが、名家の令嬢として社交界で育ち、文化的教養が高かったとされる

アニータはドイツの有力実業家一族に生まれた女性で、芸術界の人間ではなかったものの、 社交界への適応力や教養の高さで知られています。カラヤンと結婚した二番目の妻ですが、 後の「アニア・マリア」と比べると一般への知名度は大きくありません。

カラヤンとの出会いと結婚

出会いの背景

二人の正確な出会いの経緯は多く語られていませんが、共通するのは「ドイツ社交界」を通じた接点です。 カラヤンは1940年代前半、ベルリンでその才能を認められつつあり、社交界にもしばしば姿を見せていました。 その中でアニータと知り合ったと考えられます。

結婚

  • 結婚年:1942年
  • カラヤンの年齢:34歳
  • アニータの年齢:25歳

アニータとの結婚は、まさに戦時下のドイツという特殊な状況で行われました。 前妻エルミとの離婚から間を置かずに再婚した形となり、当時の芸術界・社交界でも話題になったとされます。

アニータ・ギューターマンの人物像

アニータは、舞台人であったエルミとはまったく異なるタイプの人物だったとされています。

  • 実業家一族の令嬢:ギューターマン家はミシン糸の大財閥で、裕福で安定した家柄。
  • 落ち着いた知性:芸術よりも実務的・現実的な性格で、非常にしっかりした女性だったと言われる。
  • 社交界での安定感:華美さよりも控えめな品位で、社交界では信頼感のある人物像。
  • 芸術への理解:専門家ではないが、カラヤンの音楽活動には一定の理解と支援を示していた。

当時のカラヤンは、芸術家としての立場を固めながらも、戦時体制下で複雑な仕事環境に置かれていました。 アニータはその「生活基盤の安定」という面で大きな支えになったと考えられます。

二人の離婚

離婚時期

  • 離婚年:1958年
  • 結婚生活は約16年間に及んだ。

離婚の背景

アニータとの結婚生活は、カラヤンの人生の中で最も激動の時期だったと言えます。 戦中から戦後、そしてベルリン・フィルのトップへと駆け上がる道のりは、極度の緊張と変化に満ちていました。

カラヤンの世界的名声の上昇

1950年代後半、カラヤンはすでに国際的なスター指揮者となっており、 その生活は多忙さを極めていました。世界中を飛び回る生活は、家庭生活との両立を難しくしました。

性格・価値観の違い

アニータは非常に堅実で保守的な性格だったとされ、華やかな芸術・社交界を舞台に活躍するカラヤンとは、 価値観が次第に合わなくなったと言われます。

離婚後のアニータ・ギューターマン

離婚後のアニータは公的な場にほとんど姿を見せず、詳細な記録は多く残っていません。 ただし、カラヤンのような芸術家と異なり、元来実業家一族の出身であったことから、生活基盤は安定していたと見られています。

  • 再婚したかどうかははっきりしていない。
  • メディアへの露出はほとんど無く、静かに暮らしていたとされる。
  • 芸術界とのつながりも離婚後は途絶えている。

その後の人生についての詳細は少ないものの、 カラヤンの激動期を支えた「静かな妻」として、伝記の中では控えめながら存在感を放っています。

カラヤンにとってのアニータの意味

アニータ・ギューターマンとの16年間の結婚生活は、カラヤンの人生において「基盤を固める時期」にあたります。 彼が世界的指揮者へと上り詰める過程を支えた重要な存在でした。

  • 生活面での大きな支え:実務的で安定感のある性格は、戦中〜戦後の不安定な時代の中で役立った。
  • 芸術家と現実社会の橋渡し:舞台人ではなかったが、カラヤンの仕事を現実的な視点で支えた。
  • 後の「アニア・マリア時代」への前段階:アニア・マリアとの華やかな生活とは対照的で、より堅実で静かな伴侶という位置づけとなる。

まとめ

アニータ・ギューターマンは、多忙と激動の時代を生きるカラヤンを支えた“安定の妻”でした。 前妻エルミの芸術家的な気質とも、後妻アニア・マリアの華やかな国際派の雰囲気とも異なる、独自の位置にあります。

  • ドイツの実業家一族の出身で、生活面で大きな安定を提供した。
  • カラヤンの戦中〜戦後の困難な時期の支えとなった。
  • 16年に及ぶ結婚生活は、カラヤンのキャリアにおける“基礎を築く時代”に相当する。

カラヤンの歴史の中で目立つ存在ではないものの、彼が国際的巨匠へと飛躍していく土台を支えた人物として、 見逃すことのできない重要なパートナーでした。

そのアニータさんはなんと2015年まで生きていたそうです(1917-2015)。97歳も生きられました。すごいですね。カラヤンもビックリ!

カラヤンの3番目の妻 ― エリエッテ・フォン・カラヤンとは

エリエッテ夫人の基本情報

  • 名前:Eliette von Karajan(旧姓 Eliette Mouret/エリエッテ・ムーレ)
  • 誕生日:8月13日
  • 出生地:フランス南部モラン=シュル=ウヴェーズ(Mollans-sur-Ouvèze)
  • 職業・活動:元ファッションモデル、画家、芸術支援活動
  • 夫:ヘルベルト・フォン・カラヤン(1958年結婚)
  • 子ども:イザベル、アラベルの2女

世界的指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンの3番目の妻として知られるエリエッテ・フォン・カラヤン。

若いころはファッションモデルとして活動し、カラヤンとの結婚後は二人の娘を育てながら、世界的指揮者の家庭生活を支えました。

しかし彼女の人生は、単なる「カラヤン夫人」という言葉だけでは語れません。

自ら絵画制作にも取り組み、1989年にカラヤンが亡くなった後は、その膨大な音楽的遺産を次世代へ残す活動の中心人物となりました。

エリエッテ夫人は1932年生まれ?1939年生まれ?

エリエッテ夫人について調べると、まず気になるのが生年が資料によって異なっていることです。

英語版Wikipediaなどでは、1932年8月13日生まれと記載されています。

一方、ドイツの人物典拠「Deutsche Biographie」では、1939年8月13日生まれとされています。

さらにドイツ語圏の資料では、本人が2008年に出版した回想録『Mein Leben an seiner Seite』の記述から、1939年説を採用するケースが多く見られます。

その理由は、エリエッテ本人が1957年にカラヤンと出会ったとき18歳だったと回想しているためです。

1957年に18歳であれば、計算上は1939年生まれになります。

興味深いことに、彼女と仕事をした人物が2014年に書いた文章では、エリエッテについて「8月13日生まれだが、生まれた年は明かされていない」と表現しています。

つまり、本人自身が生年を積極的には公表してこなかった可能性もあります。

そのため本記事では、「8月13日生まれ。生年については1932年説と1939年説がある」としておきます。

南フランスで育った少女時代

エリエッテ・ムーレは、フランス南部のモラン=シュル=ウヴェーズで生まれ、南フランスで育ちました。

ドイツ語圏の資料によると、母親は教師で、父親は彼女が幼いころに亡くなったとされています。

その後、養育者のもとで過ごしたり、宗教系の寄宿学校に入った時期もあったといいます。

後年の華やかな「カラヤン夫人」の姿からは想像しにくいですが、幼少期は決して恵まれたことばかりではなかったようです。

18歳でクリスチャン・ディオールに見いだされる

若きエリエッテの人生を大きく変えたのが、ファッションの世界でした。

複数の資料によれば、18歳のころにクリスチャン・ディオールに見いだされ、モデルとして活動するようになります。

ディオールのオートクチュールを身につけ、写真撮影やファッションショーなどで活動しました。

この時期に培った美的感覚は、その後の彼女の絵画活動や、カラヤンとともに築いた生活にも少なからず影響したと思われます。

カラヤンとの出会いはサン・トロペのヨット

二人の出会いについても、従来よく書かれてきた「パリの社交界で紹介された」という説明より、現在確認できる資料ではサン・トロペのヨット上での出会いが有力です。

1957年、南フランス・サン・トロペで知人のヨットに乗っていたエリエッテは、そこでカラヤンと出会ったとされています。

当時カラヤンはすでに世界的指揮者として活躍していました。

翌年、二人は再び親交を深め、1958年10月に結婚します。

カラヤンにとっては3度目の結婚でした。

年齢差は24歳?31歳?

ここでもエリエッテ夫人の生年問題が関係してきます。

1932年生まれなら、1908年生まれのカラヤンとの年齢差は約24歳。

1939年生まれなら約31歳差になります。

したがって、「カラヤンより31歳年下」と断定する記事もありますが、生年が確定していない以上、年齢差についても慎重に扱った方がよいでしょう。

イザベルとアラベル、二人の娘が誕生

夫妻には二人の娘が誕生しました。

  • イザベル・カラヤン:1960年生まれ
  • アラベル・カラヤン:1964年生まれ

二人は幼いころから、音楽家、芸術家、文化人が周囲にいる非常に特殊な環境で育ちました。

現在もそれぞれの形で父カラヤンの芸術的遺産に関わっています。

アニフだけではなかったカラヤン一家の生活

カラヤン一家の本拠地として有名なのは、ザルツブルク郊外のアニフにある邸宅です。

しかし一家の生活はアニフだけに限られませんでした。

サン・トロペやサン・モリッツなどにも滞在し、カラヤンの演奏活動に合わせてヨーロッパ各地を移動する国際的な生活を送っていました。

2014年に行われたエリエッテ夫人への長時間インタビューは、サン・トロペの「La Palme」と呼ばれる邸宅で行われています。

そのインタビューでは、エリエッテ夫人が毎日プールで泳ぎ、海辺の生活を楽しんでいた様子まで紹介されています。

エリエッテ自身も画家として活動

エリエッテ夫人を単に「元モデル」「カラヤン夫人」と考えると、彼女の重要な一面を見落としてしまいます。

彼女自身も絵画制作に取り組み、芸術活動を続けていました。

カラヤン夫妻を紹介した展覧会などでも、エリエッテ自身の芸術的才能や作品が紹介されています。

モデルとして視覚的な美に接してきた彼女と、録音だけでなく映像制作にも強い関心を持っていたカラヤン。

二人には、音楽だけではなく「見ること」「美しく見せること」への感覚にも共通するものがあったのかもしれません。

エリエッテが語ったカラヤンとの結婚生活

後年のインタビューでエリエッテ夫人は、カラヤンとの生活についてさまざまな思い出を語っています。

2014年のドイツ紙のインタビューでは、夫について

「Herbert hat mich bestrahlt」

と表現しました。

直訳すれば、「ヘルベルトは私を照らしてくれた」といった意味になります。

世界的な天才と暮らすことは決して簡単ではなかったはずですが、彼女自身はカラヤンとの人生を非常に強い愛情を持って振り返っていたことが分かります。

1989年、カラヤンの最期

1989年7月16日、カラヤンはアニフの自宅で81年の生涯を終えました。

エリエッテ夫人にとっては、1958年の結婚から約31年間をともにした伴侶との別れでした。

しかし彼女の役割は、ここで終わりませんでした。

カラヤン死後、「音楽遺産」を守る中心人物に

夫の死後、エリエッテ夫人はカラヤンの録音、映像、資料、名前などを後世へ残す活動に深く関わるようになります。

1995年にはウィーンにKarajan Centrumが設立され、その流れを受け継ぐ組織として現在のEliette and Herbert von Karajan Instituteが活動しています。

カラヤン研究所の公式サイトによれば、この研究所はエリエッテ夫人によって設立された非営利組織です。

現在は、カラヤン・アーカイブの保存・拡充、録音や映像などの管理、ライセンス、研究、デジタル事業、音楽教育など幅広い活動を行っています。

現在も世界中でカラヤンの録音や映像が新しい形で発売され続けている背景には、こうした組織的な遺産管理があります。

2020年、娘たちの世代へバトンタッチ

エリエッテ夫人は長年、カラヤン関連の財団活動を率いてきましたが、2020年には大きな世代交代が行われました。

それ以降は実務の第一線から徐々に退き、名誉職的な立場から活動を見守る形になっています。

カラヤン家の次世代であるイザベルとアラベルも、父の遺産をめぐる活動に関わっています。

2024年、カラヤンの「ナチ時代」を自ら再検証へ

エリエッテ夫人とカラヤン家の現在を考えるうえで、非常に興味深い動きが2024年にありました。

Eliette and Herbert von Karajan Instituteは、歴史家ミヒャエル・ヴォルフゾーンに依頼し、カラヤンとナチ時代との関係を改めて学術的に検証する研究を開始しました。

研究所はこの調査について、カラヤンのナチ時代の活動だけでなく、1945年以降に本人がその過去とどう向き合ったかについても検証するとしています。

娘のイザベルとアラベルも、学術的に裏付けられた結論であれば受け入れる姿勢を表明しました。

カラヤンの遺族が、都合の悪い歴史を隠すのではなく、外部の歴史家に調査を依頼した点は注目されます。

エリエッテ夫人は現在どうしている?

2026年現在、エリエッテ夫人が亡くなったという公式発表はなく、健在とみられます。

ただし、生年について1932年説と1939年説があるため、現在の年齢も87歳または94歳ということになります。

近年は以前ほど公の場に登場する機会は多くありません。

一方、彼女の名前を冠したEliette and Herbert von Karajan Instituteは現在もザルツブルクで活動を続けています。

2024年にはカラヤンのナチ時代の再検証が始まり、2025年には研究所の経営体制にも新たな動きがありました。

つまり、エリエッテ本人が日々の実務を行う時代から、娘たちや専門スタッフを中心とする「次世代のカラヤン遺産管理」へ移行していると考えるのがよさそうです。

「未亡人」ではなく、カラヤンの妻として

エリエッテ夫人については、「未亡人」という呼ばれ方を好まなかったというエピソードも伝えられています。

カラヤンが亡くなってすでに長い年月が経ちましたが、彼女にとってヘルベルト・フォン・カラヤンは、歴史上の巨匠である以前に、生涯をともにした夫だったのでしょう。

若き日のファッションモデルから世界的指揮者の妻となり、二人の娘を育て、自らも芸術活動を行い、そして夫の死後はカラヤンの巨大な文化遺産を守ってきたエリエッテ・フォン・カラヤン。

カラヤンの死から37年が経った現在も、その名前と音楽が世界中で生き続けている背景には、エリエッテ夫人が果たしてきた役割があることを忘れてはならないでしょう。

Eliette and Herbert von Karajan Institute 公式サイト

カラヤンの娘たち ― イザベルとアラベル

ヘルベルト・フォン・カラヤンとエリエッテ・フォン・カラヤンには、 二人の娘がいます。いずれも芸術と文化に深く関わりながら、 父の遺産を現代へと伝える役割を果たしています。

イザベル・フォン・カラヤン

基本情報

  • 生年:1960年(ザルツブルク)
  • 職業:舞台芸術家、演出家、クリエイティブプロデューサー
  • 活動拠点:オーストリア、ドイツ、スイスなどヨーロッパ各地

芸術家としての道

イザベルは幼少期から音楽・演劇・文学に囲まれて育ち、 カラヤンの音楽だけでなく、舞台全体の美学を吸収してきました。 若い頃はバレエや演劇を学び、やがて舞台演出やプロデュース活動に進みます。

活動の特徴

  • 音楽×演劇の融合: クラシック音楽に俳優や朗読を取り入れる独自のスタイル。
  • 現代的な音楽プロジェクト: テクノロジーや映像表現を用いた作品も手がける。
  • 語りと音楽: 文学作品の朗読とクラシック曲のコラボレーション企画を多数開催。

カラヤンとの関係

イザベルは父カラヤンを深く尊敬しており、 「父の音楽の表現の奥にある精神や哲学を現代に伝えたい」 と語っています。 伝統を守りつつ、新しい形で父の音楽を語り継ぐのが彼女の役割といえるでしょう。

アラベル・フォン・カラヤン

基本情報

  • 生年:1964年(ザルツブルク)
  • 職業:文化プロデューサー、マネジメント、財団運営
  • 活動拠点:主にオーストリア・スイス

文化運営のスペシャリスト

アラベルは姉のイザベルと異なり、表現者というよりも 「裏方のマネジメント」「文化財の管理」分野に強みを持つ人物です。

  • カラヤン財団の運営・管理: 父の遺産管理や文化プロジェクトの実務を担当。
  • 音楽教育支援: 若手アーティスト支援や教育プログラムに関わる。
  • アーカイブ整理: カラヤンの録音・映像・写真など、膨大な資料の整理・保存に深く携わる。

カラヤン家の“調整役”

性格は「控えめで落ち着いたタイプ」と言われ、 家族・財団・レーベル・音楽祭など多くの関係者と折衝する能力を持ち、 “カラヤン家の実務の中心”として重要な存在です。

姉妹の関係と役割分担

イザベルとアラベルは性格も活動領域も異なっていますが、 カラヤンの遺産を次世代に伝えるという目標のために明確な役割分担ができています。

  • イザベル:芸術・舞台表現の面で父の精神を継承
  • アラベル:財団管理・アーカイブ・文化運営の面で父を継承

この二つの役割が合わさることで、 カラヤンの音楽と理念は「芸術」と「運営」の両輪で守られています。

母エリエッテとのつながり

エリエッテは娘たちに自由な芸術観と多文化的な視野を与え、 姉妹は幼い頃から芸術家や文化人に囲まれた環境で育ちました。 現在も三人は非常に仲が良く、家庭としても強い信頼関係で結ばれています。

カラヤンの遺産を継ぐ次世代

イザベルとアラベルは、単に「巨匠の娘」という存在ではなく、 それぞれが独立した道でカラヤンの文化遺産を継承しています。

  • イザベルは舞台芸術家として「表現の継承」
  • アラベルは財団運営者として「遺産管理の継承」

こうして姉妹は、音楽界・文化界の両面から、 カラヤンの名と作品が永続的に受け継がれるよう努めています。

まとめ

カラヤンの娘であるイザベルとアラベルは、 それぞれの強みを活かしながら、 「芸術面」と「運営面」から父の遺産継承に貢献する存在です。

  • イザベル:舞台表現・創作・演出を通じて父の美学を現代へ届ける。
  • アラベル:財団運営と文化保存によって、父の記録と研究を未来へつなぐ。
  • 母エリエッテとともに、カラヤン家は今日も音楽界に強い影響を持ち続ける。

巨匠カラヤンの人生の最後の章と、音楽遺産の未来を支えるのは、 この二人の姉妹と言ってよいでしょう。

ちなみにカラヤンは1967年に購入した自分のヨットに家族の名前をピックアップして名付けました。

(H)erbert、(El)iette、(Is)abel、(Ara)belの一部を取って「HELISARA」(ヘリサラ)という名前のヨットだそうです。

カラヤンの兄、ヴォルフガング・カラヤン

ヘルベルト・フォン・カラヤンには、約2歳年上の兄 ヴォルフガング・カラヤン(Wolfgang Karajan)がいました。

ヴォルフガングはウィーン工科大学で電気工学を学び、 技術者・発明家として活動する一方、オルガンにも深く取り組んだ非常にユニークな人物です。 若いころにはオートバイ競技にも参加するなど、弟ヘルベルトと同じく機械への強い関心を持っていました。

その後はオルガニストとして本格的に活動し、妻らとともにオルガン・アンサンブルを結成。 3台の小型オルガンを運びながら海外公演まで行っています。

さらに驚くべきことに、1963年のアメリカ『TIME』誌は、 世界的指揮者となっていた弟ヘルベルトについて「天文学的な演奏料・録音料を得ている」と紹介しながら、 当時は兄ヴォルフガングの方が裕福だったと伝えています。

兄弟の間には複雑な部分もあったようですが、晩年にはヘルベルトが兄との録音を検討していた記録も残されています。

ヴォルフガングは1987年にザルツブルクで亡くなり、現在はザルツブルク市営墓地のカラヤン家の墓に眠っています。

実業家、技術者、オルガニスト――「帝王カラヤンの兄」というだけでは語れないヴォルフガングの生涯について、別記事で詳しくまとめました。

ついにカラヤンのお孫さんも登場!2009年のカラヤンファミリーもご覧ください。

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