カラヤンとベルリンフィル研究ブログ

カラヤン ウィーンフィルを率いての初来日(1959年)

2021年9月1日 当サイトにはプロモーションが含まれます

1959年10月にカラヤンがウィーンフィルを率いて来日した時の映像がありました。この演奏旅行はインドのニューデリーを皮切りに、マニラや香港、ハワイ、アメリカ、カナダと続く大変大規模な演奏旅行となりました。

日本では、東京や大阪、名古屋など全部で10回のコンサートが開かれ、ベートーヴェンの運命や、6番、7番、ブラームスの交響曲2番、4番、モーツァルトの40番、ブルックナーの8番などメジャーなプログラム中心でした。

とにかくお出迎えがスゴイんです。羽田空港には花を持ったプレゼンターの女性、新聞やテレビでは来日が報道されます。前年(1958年)に結婚したばかりのエリエッテ夫人も同行し、着物姿などを披露。カラヤンとの年の差はなんと31歳でした。この来日時は20歳ぐらいですね。

ウィーンフィルとのリハーサルも、これだけで一人10万円ぐらいの入場料取れそうですし、今だったらやオークションとかでプレミア価格が付くでしょう。

現在、このような派手なお迎えをうける指揮者や楽団がいるでしょうか。やはりカラヤンはスーパースターであったのです。

残念ながら、今はベルリンフィルやウィーンフィルが来日してもテレビや新聞で報道されることはなくなってしまいました。カラヤンがどれだけのVIP待遇を受けていたのかよくわかるかと思います。

ウィーンフィルとの名盤中の名盤とも言われるチャイコフスキ-の5番と6番悲愴も抑えておきたいです。4番もありますが、特に5番と6番が注目です。

80年代に入ってからのものですが、その70年代に劣らないほどの名盤もいくつかあります。

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