帝王カラヤンと伝説の舞台 普門館 ― 黄金の来日公演が刻んだ響き
2025年11月27日 当サイトにはプロモーションが含まれますカラヤンが1970年代にベルリンフィルとの日本公演に使用した5000人収容できる杉並区の普門館を近所に住んでる私が撮影した写真付きでご紹介致します。近年は吹奏楽の殿堂として親しまれてきましたが、老朽化により取り壊され現在は緑地になっています。建築規制の関係で再建は断念されました。
帝王カラヤンと伝説の舞台 普門館 ― 黄金の来日公演が刻んだ響き

普門館(ふもんかん)は、東京都杉並区和田2丁目にかつて存在した大規模講堂で、1961年に落成しました。宗教法人・立正佼成会の施設として建てられましたが、その収容人数は約5000席と当時国内最大級を誇り、クラシック公演、式典、講演会など多目的に使用されました。
専門的なコンサートホールではなかったものの、東京がまだ本格的な大ホールを十分に備えていなかった時代、海外の一流オーケストラの日本公演会場としてたびたび選ばれ、“特別なホール”として語り継がれる存在となりました。
特に1979年と1984年の来日公演では普門館での演奏が行われ、 多くのファンに“日本でカラヤンとベルリン・フィルを聴いた場所”として記憶されています。
日本公演では1977年、1979年そして1981年に東京・杉並の普門館が使用されました。
カラヤンが普門館を使った理由は私はわかりませんが、チケット代が稼げるホールなのが好まれたからでしょうか。
立地的にも東京文化会館やNHKホールに比べれれば決して良いとはいえませんからね。
普門館の音響と空間の特徴

普門館は元々講堂として設計されたため、 クラシック専用ホールとは構造が大きく異なります。 天井が高く横方向の広がりが大きいため、音の残響が比較的長く、 とくに大型編成の響きに包まれる感覚は独特のものでした。
そのためカラヤンは1979年の来日時には反響板を取り付けるよう注文を出したようです。
専門家からは「ホールとしての最適化は不足していた」という意見もありますが、舞台が広く、巨大な聴衆が一体となる空間は、海外オーケストラの公演には十分な迫力を与え、日本の聴衆を大いに魅了しました。
1977年来日時のベートーヴェンチクルスでは、が同行し、交響曲の他にピアノ協奏曲第3番や第5番「皇帝」(アレクシス・ワイセンベルグ)が演奏されました。
そしてカラヤン死後、1979年の普門館での第九ライブがCD化された時は話題になりました。私も嬉しくてすぐに買ったのを覚えています。さらにその後、東京FM開局40周年記念として1977年のベートーヴェンチクルスもCD化されました。カラヤンファンにとってはたまらない企画でありました。まだまだ掘り出しものがあるものです。
下のは1979年の普門館での公演。チャイコフスキーの交響曲5番とシューベルトの未完成です。
近年、普門館といえばクラシックというよりは吹奏楽の殿堂として有名でしたが、建築基準法の関係で耐震強度改修工事を断念し利用できなくなりました。
ただし、2016年現在では取り壊しは行われてはいないようです。できることならこのまま保存して欲しいですね。
上の写真は結構前に私が撮影したものです。普門館は実家から自転車で20分ぐらいなのですぐに行けるんです。高校も近くでした。
普門館の現在 ─ 耐震問題と閉鎖、そして静かな終幕
2000年代に入り、普門館は耐震基準の問題から使用が制限され、 2012年に事実上の閉鎖となりました。その後ホール機能を再開することなく解体が正式決定。現在は往年の姿を見ることはできません。
。現在の条例?ではこのエリアにはこうしたホールを新たに建設することができません。かと言って、老朽化した建物を修復するのも無理なようです。
取り壊す前にちょっと写真を撮っておきました。中央奥に見えるのが普門館です。(2018年8月環七にて撮影)。

その後、もう一目見たいと思って2019年3月26日にも行ってきました。

もう壊しちゃったかなと思ったのですが、2019年3月26日時点ではまだ建物自体は残っていました。内部が終わり次第、外部取り壊しということになるのでしょう。撮影はこれが最後になりそうです。次回来る時は更地になっていることでしょう。
このエリアは立正佼成会の聖地とも言われるところで、広大な土地を所有しており、大聖堂、佼成病院、医療専門学校、佼成学園、佼成出版などがあります。
解体に伴い、座席番号札をメモリアルグッズとして販売してましたね。
なお、こちらがその後、緑地となった画像となります(一部解体中の建物が残っているかもしれません)。
やっぱり緑は癒されますね。今度ゆっくり行ってみたいと思います。
普門館が残したもの
普門館はクラシック専用ホールではありませんでしたが、 東京の音楽文化において非常に重要な役割を果たしました。 まだ東京文化会館やサントリーホールが十分に整備される前の時代、 海外の大編成オーケストラを受け入れる“巨大な箱”としての機能は、 日本にクラシック音楽の本格的な響きを浸透させる大きな役割を果たしました。
カラヤンとベルリン・フィルの歴史を語る上でも、 普門館は欠かすことのできない日本の象徴的な舞台のひとつです。 彼らがここで残した音の記憶は、建物が解体された後も 多くのファンの心の中に生き続けています。
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