カラヤンという指揮者は何がすごい?性格や人物像・エピソードを紹介

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カラヤンの何がそれほどすごかったのでしょうか。 圧倒的な統率力、ベルリン・フィル黄金時代の音づくり、録音・映像への先見性、そして若い音楽家の育成まで、長年カラヤンを聴いてきた筆者が、その魅力と人物像を紹介します。

カラヤンの何がすごいのか?

カラヤンのすごさを簡単にまとめるとこんな感じです。

カラヤンのすごさ5選
  1. 世界トップクラスの演奏家をまとめる圧倒的な統率力
  2. ベルリン・フィルの黄金時代を築いた
  3. 「カラヤン・サウンド」と呼ばれる独自の音づくり
  4. レコード・映像・デジタル録音など新技術への先見性
  5. 若い音楽家を発掘し、次世代を育てた

ヘルベルト・フォン・カラヤンとは

名前ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan)
生年月日1908年4月5日
没年月日1989年7月16日
出身オーストリア・ザルツブルク
主なポストベルリン・フィル首席指揮者(1956~1989年)

ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan)は、1908年4月5日にオーストリアのザルツブルクで生まれ、1989年7月16日に亡くなった20世紀を代表する指揮者です。

若い頃からオペラやコンサートの指揮で頭角を現し、戦後はウィーン・フィル、フィルハーモニア管弦楽団などとも数多く共演しました。

1954年11月30日にベルリン・フィル首席指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが急逝すると、翌1955年、カラヤンはベルリン・フィルの北米ツアーを指揮します。 ツアーを成功させた後、1956年にベルリン・フィルの首席指揮者に就任しました。

それから1989年まで30年以上にわたり、ベルリン・フィルの中心人物として活動します。 晩年にはザビーネ・マイヤー事件などをきっかけとして楽団との関係が悪化しました。

ザビーネ・マイヤー事件とは、カラヤンが若いクラリネット奏者ザビーネ・マイヤーのベルリン・フィル入団を強く望んだのに対し、楽団員側との意見が対立した出来事です。 カラヤンとベルリン・フィルの関係を考えるうえで象徴的な事件となりました。

しかし、カラヤン時代がベルリン・フィルの歴史において極めて重要な時代だったことに変わりはありません。

カラヤンが20世紀を代表する指揮者になった理由

ここからは、カラヤンのすごさを、実際の演奏やベルリン・フィルとの関係、録音・映像への取り組みなどから詳しく見ていきます。

桁外れのカリスマ性と統率力

カラヤンのすごさとして、まず挙げたいのが桁外れのカリスマ性と統率力です。

オーケストラは何十人もの演奏家によって構成されています。 しかもベルリン・フィルともなれば、一人ひとりが世界トップクラスの演奏家です。

そうした集団を一つの方向へまとめるには、指揮法だけでなく、作品への深い理解、明確な音楽観、そして演奏家を納得させる力が必要です。

カラヤンは決して大柄な人物ではありませんでしたが、指揮台に立ったときの存在感は非常に大きかったといわれています。

実際にカラヤンと仕事をした歌手や演奏家の回想を読むと、強い集中力と自信を持ち、周囲に自然と緊張感を生み出す人物だったことがうかがえます。

私が映像を見ても、指揮台へ出てきただけで空気が変わるように感じることがあります。 スター指揮者はほかにも大勢いましたが、これほど「指揮者そのもの」がブランドになった人物は珍しいでしょう。

指揮台を離れたカラヤンの姿に興味がある方には、ドキュメンタリー「素顔のカラヤン」も面白い作品です。

ベルリン・フィル黄金時代を築いた

ベルリン・フィルはカラヤンが就任する以前から世界的な名声を持つオーケストラでした。

しかし、カラヤン時代に独自の演奏スタイルとサウンドがさらに磨き上げられ、世界的な人気を獲得していったことは、この時代を考えるうえで外せません。

特に1960年代から70年代のベルリン・フィルを聴くと、自信に満ちたダイナミックな演奏が印象に残ります。

豊かな弦、よく歌う木管、輝かしく強力な金管。 それぞれのパートが非常に高い水準にありながら、オーケストラ全体として一つの巨大な楽器のように鳴ります。

私はこの時代の録音を聴くと、「世界最高峰のオーケストラで演奏している」という団員たちの自信まで音から伝わってくるように感じます。

第九のリハーサル映像などを見ると、当時のカラヤンとベルリン・フィルの緊張感や気迫もよく分かります。

カラヤン&ベルリン・フィル黄金時代の演奏を聴くなら、私は特に1960年代から70年代の録音をおすすめします。

当サイトでは、カラヤンとベルリン・フィルのレコーディングを年代別に検索することもできます。

1980年代にもチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」やベルリン・フィル創立100周年記念演奏会など魅力的な録音・映像があります。 しかし、黄金時代らしい勢いと完成度を味わうなら、60年代から70年代は外せません。

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完璧主義の音づくり ― シルキーでダイナミックなサウンド

カラヤン指揮のベルリン・フィルを聴いて、まず耳に残るのがオーケストラ全体の美しい響きです。

シルクのようになめらかな弦、よく歌う木管、輝かしい金管。 それらがバラバラに主張するのではなく、一つの生命体のようにうねりながらクライマックスへ向かっていきます。

特に弦楽器のレガートは、カラヤン&ベルリン・フィルを象徴する特徴の一つでしょう。

ただし、単に「きれいな音」を作っていたわけではありません。 ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーなどでは、巨大な音の塊が押し寄せてくるような迫力もあります。

美しさと力強さを高い次元で両立させていたところが、私が考えるカラヤン・サウンドの大きな魅力です。

カラヤンはどんな性格だったのか?

カラヤンの性格については、「完璧主義」「自信家」「独裁的」といったイメージで語られることがあります。

確かに、音楽や仕事に対して非常に強いこだわりを持ち、簡単に妥協する人物ではなかったようです。

しかし、実際に共演した演奏家やベルリン・フィル団員の証言を読むと、それだけでは説明できない人物だったことが分かります。

徹底した完璧主義者

カラヤンの性格を考えるうえで外せないのが、徹底した準備です。

ベルリン・フィルの記録によると、リハーサルでは一つのアーティキュレーションや音色について集中的に取り組むこともありました。

本番になってから細かな修正をするのではなく、リハーサルの段階で自分が求める響きを徹底的に作り上げておく。

その一方で、本番では意外なほどオーケストラを自由に演奏させました。

これは一見すると矛盾しているようですが、事前に徹底して準備しているからこそ、本番では演奏家を信頼して任せることができたのでしょう。

「独裁者」だけでは説明できない一面

カラヤンは強いリーダーシップを持っていたため、「独裁的な指揮者」というイメージを持たれることがあります。

ところが共演者の回想には、意外なほど相手を信頼して任せていたエピソードも残されています。

1974年、カラヤンはプッチーニのオペラ「蝶々夫人」の録音で、若きプラシド・ドミンゴを初めて起用しました。

ドミンゴは当然リハーサルがあるものと思っていましたが、実際には録音が始まり、第1幕を短時間で収録してしまいます。 驚いたドミンゴに対して、カラヤンは音楽家同士なら細かなリハーサルは必要ないという趣旨の言葉を返したと回想されています。

つまりカラヤンは、相手の能力を認めれば、何から何まで自分の思い通りに動かそうとする人物ではなかったのです。

強いリーダーシップを持ちながら、一流と認めた音楽家には大きな自由を与える。 この二面性もカラヤンという人物の面白いところだと思います。

なぜカラヤンは目を閉じて指揮したのか?

カラヤンの演奏映像を初めて見ると、「なぜ目を閉じて指揮しているのだろう?」と思う人もいるでしょう。

実際、カラヤンは本番で目を閉じて指揮することが多い指揮者でした。

一般的には指揮者とオーケストラの間で視線による合図が交わされます。 ところがカラヤンは、演奏中に目を閉じていることが珍しくありませんでした。

ベルリン・フィルで1962年から演奏したチェリスト、アレクサンダー・ヴェドウは、演奏会でカラヤンとの視線による接触がなくなることには戸惑いもあった一方、それによって楽団側には大きな自由が与えられたと回想しています。

重要なのは、カラヤンがリハーサルでも目を閉じていたわけではないことです。

リハーサルでは団員と直接アイコンタクトを取りながら細部を作り込み、本番になるとオーケストラを過度に縛らない。

「本番で細かく指示しなくても演奏できるところまで、事前にオーケストラを作っておく」 というのが、カラヤンの方法だったと考えると分かりやすいでしょう。

リハーサルでは徹底して準備し、本番ではベルリン・フィルの能力を信頼する。 目を閉じた指揮は、カラヤンとオーケストラの特殊な関係を象徴しているようにも思えます。

音楽以外のカラヤンはどんな人だった?

カラヤンの人物像をさらに面白くしているのが、音楽以外にも非常に多くのことへ興味を持っていたことです。

特に有名なのが、飛行機、スポーツカー、ヨット、スキーです。

自家用ジェット機を自ら操縦

カラヤンは飛行機を所有していただけでなく、自ら操縦しました。

世界的な指揮者が自家用機を所有するだけでも珍しいのに、自分で操縦するところがいかにもカラヤンらしいところです。

当サイトでは、カラヤンが所有していた自家用ジェット機についても詳しく紹介しています。

ポルシェ、ヨット、スキーも愛した

自動車ではポルシェなどのスポーツカーを好み、ヨットを操り、スキーも楽しみました。

3回目の結婚ではフランス人のエリエッテ夫人と結婚し、ザルツブルク近郊の自宅のほか、サンモリッツなどにも別荘を持っていました。

カラヤンの自宅や墓所についてはこちらで紹介しています。

サンモリッツの別荘についてはこちらです。

飛行機、スポーツカー、ヨットなどを単なる「お金持ちの趣味」と見ることもできます。

しかし私は、カラヤンの場合はそれだけではなかったと思います。

飛行機も車もヨットも、自分で操作しなければ思い通りには動きません。 機械の性能を理解し、自分でコントロールすること自体が好きだったのではないでしょうか。

この性格は、後に録音機器や映像技術へ非常に強い興味を持ったこととも、どこか共通しているように感じます。

指揮台を離れたカラヤンの姿を見られる「カラヤン・イン・ザルツブルク」では、自宅での様子やエリエッテ夫人と車に乗る姿など、音楽家とは違う一面を見ることができます。

レコードと映像の時代を切り開いた先見性

カラヤンのもう一つの大きな特徴が、録音と映像に対する強い関心です。

コンサートだけで活動するのではなく、レコードによって自分たちの演奏を世界中へ届けることの重要性を早くから理解していました。

ベルリン・フィルとの膨大なレコーディングを行い、世界各地への演奏旅行も積極的に実施しました。

結果としてカラヤンとベルリン・フィルの名前は、コンサートホールに足を運ぶ人だけでなく、家庭でレコードを聴く世界中のクラシックファンにも広がっていきました。

私は、カラヤンは音楽家であると同時に「音楽をどう世界へ届けるか」を考えていた人物だったと思います。

映像にも早くから注目していた

カラヤンは映像にも非常に早い時期から興味を示しています。

家庭でクラシック音楽の映像を見ることが一般的ではなかった1960年代から、ベルリン・フィルなどとの演奏を映像作品として残しました。

後にはテレモンディアールという制作会社も設立し、映像制作へ深く関わるようになります。

今ではオーケストラの演奏をテレビやインターネットで見ることは当たり前ですが、当時はまったく状況が違います。

「音楽は耳で聴くだけでなく、映像作品としても残すことができる」と考え、多額の費用をかけて実行したところにカラヤンの先見性がありました。

カラヤンは新しい技術が大好きだった

カラヤンを単なる「商売上手な指揮者」と考えると、その人物像の半分しか見えてこないと思います。

彼は録音技術そのものに非常に強い興味を持っていました。

LP、ステレオ録音、映像、デジタル録音、そしてCD。 音楽を記録する技術が進歩するたびに、カラヤンは新しいメディアへ積極的に関わっています。

1980年に録音されたモーツァルト「魔笛」は、ドイツ・グラモフォン初のデジタル制作作品としてリリースされました。

さらにリヒャルト・シュトラウス「アルプス交響曲」の録音は、クラシック音楽の商業CDとして最初期を象徴する作品となりました。

1908年生まれの人物が、晩年にはデジタル録音やCDという新しい技術の最前線にいたわけです。

カラヤンは新しい技術を「よく分からないから使わない」と遠ざけるのではなく、自分から近づいていきました。

この新しいものへの好奇心は、カラヤンという人物を理解するうえで非常に重要だと私は思います。

映像作品にも自分の美意識を持ち込んだ

特に印象的なのが、1960年代後半から70年代に制作されたベートーヴェン交響曲の映像です。

個人的には、この時期に制作されたベートーヴェン交響曲の映像作品は、カラヤン&ベルリン・フィルの最高傑作だと思っています。

単に演奏会をカメラで撮影したものではありません。 カメラ位置、照明、演奏家の配置などにも大胆な演出が加えられています。

特に交響曲第3番「英雄」と第7番では、ドイツの映像作家フーゴ・ニーベリングによる非常に大胆な映像表現が使われました。

オーケストラ団員をひな壇状のセットに放射状に配置し、その中心にカラヤンが立ちます。

演奏家から指揮者が見やすいだけでなく、映像を見る側にも非常に強い印象を与えます。

ニーベリングは実験的なカメラワークや編集で知られた映像作家で、カラヤン&ベルリン・フィルとは「田園」「英雄」「第7番」などの映像作品を手掛けました。

もっとも、カラヤンとニーベリングの美意識が常に一致していたわけではなく、作品には後に編集が変更されたものもあります。

現在見ても非常に個性的な映像ですが、半世紀以上前にこうした試みが行われていたこと自体が驚きです。

また、当時の映像にはジェームズ・ゴールウェイや、日本人としてベルリン・フィルで活躍した土屋邦雄氏ら、黄金時代を支えた演奏家たちの若い姿も残されています。

私がどうしても欲しかったベートーヴェンの映像

私自身、このベートーヴェンの映像には思い出があります。

1988年頃だったと思いますが、当時この映像をどうしても手に入れたくなり、再生するための機器まで探しました。

秋葉原の石丸電気まで行って対応するプレーヤーを見つけたのですが、すでにLD(レーザーディスク)が普及し始めていた時期だったため、店員から購入を勧められなかった記憶があります。

当時の記憶なので、そのとき探していたディスクの規格がVHDだったのか別のビデオディスクだったのか、今となってははっきり覚えていません。

ところが翌1989年、カラヤンの死去後にLDとして発売され、それを購入することができました。 結果的にはプレーヤーを買わなくて正解でした。

現在のようにネットですぐ映像を見られる時代ではありません。 映像を見るために再生機器まで探していた時代を知っているだけに、それより何十年も前から「クラシック音楽を映像作品として残す」ことに取り組んでいたカラヤンの先見性には改めて驚かされます。

CDでカラヤンを初めて聴く方や、おすすめの名盤を探している方はこちらにまとめています。

熱心だった後進の育成

強いリーダーとして知られるカラヤンですが、若い音楽家の育成にも力を入れました。

その代表的な存在が小澤征爾です。 そのほかにも、後に世界的指揮者となる若い才能を早い時期から支援しました。

ヴァイオリンではアンネ=ゾフィー・ムターとの関係が有名です。 カラヤンはまだ若かったムターの才能を高く評価し、ベルリン・フィルとの共演やレコーディングへつなげました。

すでに評価の定まった演奏家だけを起用した方が、世界的指揮者にとっては安全だったはずです。 それでも才能を感じた若者に大きな舞台を与えたところに、カラヤンの人を見る目と自信が表れていると思います。

さらに1972年には、若い演奏家がベルリン・フィルの団員から実践的な指導を受けるための仕組みを作りました。 現在のカラヤン・アカデミーにつながる取り組みです。

ベルリン・フィルによれば、この制度から実際に多くの団員が育っています。 カラヤンが亡くなった後も、人材育成という形でその遺産が残っているのです。

ベルリン・フィルには世界中から優れた演奏家が集まりました。 フルートのジェームズ・ゴールウェイやオーレル・ニコレなど、後に世界的ソリストとして知られる奏者も在籍しています。

カラヤンへの批判と評価が分かれる点

ここまでカラヤンのすごさを中心に紹介してきましたが、カラヤンという人物や演奏に対する評価がすべて肯定的だったわけではありません。

人物を知るためには、評価が分かれる部分についても触れておく必要があるでしょう。

ナチス時代の経歴

カラヤンを語るうえで避けて通れないのが、ナチス時代の経歴です。

カラヤンにはナチ党員だった経歴があり、この問題は戦後も繰り返し議論されてきました。

1955年にベルリン・フィルの北米ツアーを指揮した際にも、カラヤンの過去を理由とする抗議活動が起きました。

一方、ナチス時代におけるカラヤンの行動や、その背景をどのように評価するかについては現在も研究が続いています。

音楽家として残した業績とは別に、20世紀ヨーロッパを生きた人物として、この経歴も知っておく必要があるでしょう。

「音が美しすぎる」という評価もある

カラヤンの演奏についても評価は一様ではありません。

徹底して磨き上げられたオーケストラ・サウンドを高く評価する人がいる一方、「音が美しすぎる」「均質的すぎる」と感じる聴き手もいます。

作品によっては、もっと荒々しさや各楽器の個性が前面に出た演奏を好む人もいるでしょう。

これは好みが分かれるところです。

私自身は、特に1960年代から70年代のベルリン・フィルとの演奏では、美しい響きだけでなく、強烈な推進力やダイナミックな迫力もカラヤンの大きな魅力だと思っています。

「美しすぎる」という批判が生まれるほど独自の音を作ったこと自体、逆に考えればカラヤンの個性の強さを表しているのかもしれません。

カラヤンは指揮者だけではなかった

カラヤンについて調べれば調べるほど、単に「20世紀の有名な指揮者」という言葉だけでは説明できない人物だったことが分かります。

ベルリン・フィルを30年以上率いた強力なリーダーであり、独自のオーケストラ・サウンドを作り上げた音楽家でした。

同時にレコード、映像、デジタル録音といった新しい技術にいち早く目を向けた先駆者でもあり、若い音楽家に機会を与えた育成者でもありました。

一方で、強いリーダーシップゆえに楽団と衝突することもあり、その演奏スタイルに対する評価も分かれました。 ナチス時代の経歴という歴史的に重要な問題もあります。

それでも、1989年に亡くなってから長い年月が経った現在も、カラヤンの録音や映像が世界中で聴かれ続けていることは事実です。

圧倒的な統率力、ベルリン・フィルと築いた独自の音、新しい技術への先見性、そして次の世代を育てる力。

これらを非常に高い水準で併せ持っていたことが、カラヤンを20世紀を代表する指揮者の一人にした大きな理由だと私は思います。

カラヤン公式サイト

カラヤンの公式サイトでは、演奏活動に関する資料だけでなく、若い頃の写真や家族との写真、共演した音楽家の回想なども見ることができます。

日本語には対応していませんが、カラヤンについてさらに詳しく知りたい方には興味深い資料が数多くあります。

そして、この記事を読んで「実際にカラヤンの演奏を聴いてみたい」と思った方は、次におすすめCD・名盤の記事をご覧ください。 私自身が長年聴いてきた中から、特におすすめしたい録音をまとめています。

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