カラヤンはオペラ歌手に嫌われていた? ルネ・コロ、ニルソンらが語った素顔
カラヤンは多くの名歌手とオペラを作り上げましたが、その関係は必ずしも平穏ではありませんでした。ルネ・コロ、ビルギット・ニルソン、クリスタ・ルートヴィヒらの証言から、歌手にとってのカラヤン像をたどります。
カラヤンと名歌手たち|衝突と信頼が生んだオペラの舞台
ヘルベルト・フォン・カラヤンは、ベルリン・フィルを長年率いただけでなく、オペラの世界でも大きな存在感を持った指揮者です。
しかしオペラの現場では、歌手との衝突も少なくありませんでした。
強い統率力と完璧主義、自分の音楽像を徹底して実現しようとする姿勢は、歌手たちにとって常に歓迎されるものではなかったようです。
一方で、ルネ・コロやクリスタ・ルートヴィヒらの証言を見ると、カラヤンの音楽的能力や歌手を支える技術を高く評価する声もあります。
つまり、
「歌手を理解しない独裁的な指揮者」
という一面的な見方だけでは、カラヤンのオペラを説明できません。
ここでは、名歌手たちの証言から、オペラ指揮者カラヤンの複雑な姿を見ていきます。
ルネ・コロとは長年にわたって共演
ドイツを代表するヘルデンテノール、ルネ・コロは、若い頃からカラヤンと数多く共演しました。
コロは後年、1970年代にカラヤンと行ったワーグナー作品の仕事について、非常に充実した経験だったという趣旨で振り返っています。
さらに、長期間にわたる共演時代そのものを高く評価しており、若い頃のコロにとって、カラヤンは単に恐ろしい指揮者だったわけではありません。
コロは、カラヤンがオーケストラ、楽譜、響きについて非常に深い知識を持っていたとも評価しています。
特にワーグナーについては、カラヤンの音楽理解を高く評価していました。
《ローエングリン》をめぐって激しく衝突
しかし、二人の関係が常に良好だったわけではありません。
ザルツブルクで行われたワーグナー《ローエングリン》の稽古では、カラヤンとコロの間に激しい対立が起きました。
当時、カラヤンは手術後で体調が十分ではなく、コロ自身も喉の状態が悪かったとされています。
そうした状況の中、衣装などをめぐる問題から口論となり、コロはザルツブルクを離れてしまいました。
この出来事は新聞でも大きく報じられました。
コロ自身は後年、周囲が自分を「カラヤンに逆らった人物」のように扱ったことを、必ずしも快く感じてはいなかったようです。
数年後、二人は再び協力した
衝突後、カラヤンとコロはしばらく距離を置くことになります。
しかし数年後、コロの側から連絡を取り、途中になっていた《ローエングリン》の録音を完成させる話が進んだとされています。
カラヤンも同じ作品を再び進めることを考えていたようで、二人は再び協力することになりました。
激しく衝突して関係が途切れても、音楽上の信頼そのものが完全になくなったわけではなかったのでしょう。
コロは後年、カラヤンとの関係を、父親と息子のような関係だったのかもしれないという趣旨で表現しています。
反発しながらも、互いの能力を認めていたからこそ続いた関係だったと考えられます。
ビルギット・ニルソンとは緊張関係もあった
カラヤンとの関係が必ずしも平穏ではなかった歌手として知られるのが、ソプラノのビルギット・ニルソンです。
ニルソンはワーグナーやR・シュトラウスを得意とした歌手で、強い声と舞台上の存在感を持っていました。
一方のカラヤンも、オペラでは音楽だけでなく演出や照明まで細かく管理することを好みました。
そのため、舞台制作の細部に時間をかけるカラヤンの方法に対し、ニルソンが不満を持つこともあったと伝えられています。
カラヤンにとってオペラは、単にオーケストラと歌手を合わせるものではありません。
照明、舞台装置、歌手の動きまで含めたひとつの作品として作り込むものだったのでしょう。
しかし歌手側から見れば、その徹底ぶりが負担になることもありました。
暗譜指揮への批判もあった
ニルソンの証言で興味深いのが、カラヤンの暗譜指揮についての評価です。
カラヤンは膨大なレパートリーを暗譜で指揮することで知られていました。
これは驚くべき能力ですが、オペラの場合には別の問題もあります。
舞台上の歌手が突然歌詞や入りを失った場合、指揮者がスコアを見ながら対応した方が助けやすい場合があります。
ニルソンは、カラヤンがスコアを見ずに指揮していたことについて、歌手が舞台上で困ったときに十分な支援を得にくい場合があったという趣旨の不満を語っています。
つまり、カラヤンの長所である完全暗譜が、オペラの特殊な現場では必ずしも常に利点になるとは限らなかった、という見方です。
クリスタ・ルートヴィヒにブリュンヒルデを求めた
カラヤンの歌手に対する要求の大きさを示す逸話として、クリスタ・ルートヴィヒとブリュンヒルデをめぐる話があります。
名メゾソプラノであるルートヴィヒに、ワーグナー《ワルキューレ》のブリュンヒルデを歌わせる構想があったとされています。
ブリュンヒルデは通常、強い声量と持久力を持つドラマティック・ソプラノが歌う役です。
ルートヴィヒは試みたものの、最終的にはこの計画から離れました。
この話を聞いたカール・ベームが、カラヤンの配役について非常に強い言葉で批判したという逸話も残っています。
ただし、こうした発言は回想による部分もあるため、正確な言葉よりも「ルートヴィヒの声には負担が大きすぎる配役と見られていた」という点を押さえる方がよいでしょう。
歌手を支えるのが巧みだったという証言もある
ここまで見ると、カラヤンは歌手に無理を強いる指揮者だったようにも見えます。
しかし実際には、反対の証言もあります。
クリスタ・ルートヴィヒは、R・シュトラウス《影のない女》などで、カラヤンがテンポやオーケストラとのバランスを巧みに調整し、歌いやすい環境を作っていたことも認めています。
つまり、カラヤンが歌手に無関心だったわけではありません。
むしろ、自分が求める舞台を実現するためには、歌手の力を最大限に引き出すことも重要だと考えていたのでしょう。
ベルリン・フィルを極端な弱音までコントロール
ルネ・コロが残した証言には、カラヤンのオーケストラ・コントロールを示す印象的な話があります。
ザルツブルクでワーグナー《ニュルンベルクのマイスタージンガー》を稽古していた時のことです。
カラヤンが指揮を止めたため、コロはオーケストラも止まったと思って歌うのをやめました。
しかし実際にはベルリン・フィルは演奏を続けていたといいます。
コロによれば、オーケストラの弱音が非常に小さく、演奏が続いていることに気づかなかったほどだったそうです。
ワーグナーの大編成オーケストラを、歌手の声を覆わないほどの繊細な音量まで落とすことができた。
この逸話は、カラヤンのオペラ指揮を考えるうえで非常に象徴的です。
カラヤンは本当に「歌手を理解しない指揮者」だったのか
一部の歌手が、カラヤンのオペラ指揮に不満を持っていたことは確かです。
しかし、そこから
「カラヤンは歌手を理解していなかった」
と単純に結論づけるのは適切ではないでしょう。
問題は知識不足というよりも、カラヤン自身の強い美学と完璧主義にあったと考える方が自然です。
カラヤンは、
まで含め、舞台全体をひとつの構想の中へ収めようとしました。
その考え方と歌手の音楽観が一致すれば、非常に充実した舞台が生まれる。
一方、意見が合わなければ衝突が起こる。
カラヤンと歌手たちの関係は、その両方を含んでいました。
世界的スター歌手はカラヤンにも従うだけの存在ではなかった
ベルリン・フィルでは長年にわたって強い影響力を持っていたカラヤンですが、オペラでは事情が少し異なります。
ニルソンやコロ、ルートヴィヒのような歌手たちは、それぞれが自分の声とキャリアを守らなければなりません。
さらに、世界的スターであれば、自分自身の音楽観や舞台観も持っています。
そのため、カラヤンほどの指揮者であっても、歌手を完全に自分の思い通りにすることはできませんでした。
むしろ、強い個性を持つ音楽家同士だったからこそ、激しい衝突も起きたのでしょう。
まとめ|カラヤンと歌手の関係は「独裁者対被害者」では語れない
カラヤンと名歌手たちの証言を見ていくと、その関係は非常に複雑だったことが分かります。
つまりカラヤンは、歌手を常に無視した指揮者でも、常に歌手に寄り添う指揮者でもありませんでした。
自分の中に明確な音楽と舞台の理想像を持ち、それを実現するために歌手にも高い要求を出す。
しかし信頼関係が成立した相手とは、長期間にわたって繰り返し共演する。
そこにカラヤンのオペラ作りの特徴があったのでしょう。
カラヤンと名歌手たちの関係を見ると、オペラは指揮者一人の芸術ではなく、強い個性を持つ音楽家同士の協力と衝突によって生まれる舞台芸術なのだということがよく分かります。





