カラヤンは映像会社の経営者だった 約200本の音楽映像を残した知られざる戦略
ヘルベルト・フォン・カラヤンは、録音だけでなく映像制作にも早くから強い関心を持っていました。1964年にはレオ・キルヒと映像会社Cosmotelを設立し、1982年には自らTelemondialを設立。生涯で約200本の音楽映像を残しています。
カラヤンは映像制作会社の共同経営者でもあった
ヘルベルト・フォン・カラヤンといえば、ベルリン・フィルを長年率い、膨大な録音を残した指揮者として知られています。
ステレオ録音、デジタル録音、CDなど、新しい音響技術に強い関心を持っていたこともよく知られています。
しかしカラヤンには、もう一つ興味深い顔がありました。
音楽映像を制作する会社そのものの設立に関わっていたのです。
1964年にはドイツのメディア事業家レオ・キルヒとCosmotelを設立。
さらに1982年には、自らの映像制作会社TELEMONDIAL S.A.M.を設立しました。
カラヤン公式サイトによれば、生涯に制作した音楽映画・映像作品は約200本に達します。
単にテレビ局に演奏会を撮影してもらっていたのではなく、カラヤン自身が映像制作の方法や編集、カメラワークに深く関わっていたのです。
1960年代から音楽を「映像化」しようとしていた
カラヤンは新しい技術に強い関心を持っていました。
レコード録音だけでなく、ステレオ、テレビ、映画、ビデオ、レーザーディスク、デジタル録音、CDなど、その時代に登場した新しいメディアへ積極的に関わっています。
カラヤン公式サイトでは、生涯に2,000を超える録音と、約200本の音楽映画・映像制作を残したとされています。
カラヤンにとって映像は、単に演奏会を記録するためのものではありませんでした。
本人は、音楽映画について舞台上で起きていることをそのまま見せるのではなく、音楽そのものを視覚化したいという趣旨の考えを語っています。
つまり、コンサート映像を「記録」ではなく、一つの独立した表現として考えていたのです。
1964年、レオ・キルヒとCosmotelを設立
大きな転機となったのが1964年です。
カラヤンはドイツのメディア事業家レオ・キルヒ(Leo Kirch)と組み、クラシック音楽を映画やテレビ向けに制作する会社、
Cosmotel(コスモテル)
を設立しました。
オックスフォード大学出版局の学術誌『Music & Letters』に掲載された研究でも、1964年にカラヤンとキルヒがCosmotelを設立したことが確認されています。
この会社は、クラシック音楽を映画やテレビという新しいメディアへ展開することを目的としていました。
カラヤンとキルヒの持分は50対50だった
さらに興味深いのが、Cosmotelにおけるカラヤンの立場です。
同じ研究では、映画プロデューサーのヘルベルト・G・クロイバーの証言として、
カラヤンとレオ・キルヒがCosmotelを50対50で所有していた
と紹介されています。
クロイバーは、二人の関係を、一方が資金を提供し、もう一方が芸術を提供したという趣旨で説明しています。
したがってカラヤンは、単に映像作品へ出演していた音楽家ではありません。
映像制作事業そのものに関わった共同事業者だったことになります。
レオ・キルヒとはどんな人物だったのか
レオ・キルヒは、映画やテレビ番組の放映権ビジネスを拡大し、その後ドイツで大規模なメディア事業を展開した人物です。
映画の権利取得、テレビ番組販売、有料放送などへ事業を広げ、後にキルヒ・グループと呼ばれる企業群を形成しました。
そのキルヒとカラヤンが1960年代前半から共同でクラシック音楽映像の制作事業を始めていたことになります。
音楽家とメディア事業家が共同で映像コンテンツを制作・保有するという形は、当時としてはかなり新しい試みでした。
CosmotelからUNITELへ
Cosmotelは長期間続いた会社ではありませんでした。
その後、レオ・キルヒ側のクラシック音楽映像事業はUNITELへ発展していきます。
UNITELはその後、オペラ、コンサート、バレエなど多数の映像作品を制作し、クラシック音楽映像の大きなアーカイブを築きました。
カラヤンだけでなく、レナード・バーンスタイン、カルロス・クライバーをはじめ、多くの音楽家の映像が残されています。
カラヤンとUNITELについてはこちらの記事で詳しく紹介しています。
ただしカラヤンの映像活動を考えるうえで重要なのは、単にUNITEL作品へ出演したということだけではありません。
映像制作事業の立ち上げ段階から関わっていたという点です。
アンリ=ジョルジュ・クルーゾーと音楽映画を制作
Cosmotel時代、カラヤンは映画監督とも積極的に組みました。
その中でもよく知られているのが、フランスの映画監督アンリ=ジョルジュ・クルーゾーです。
クルーゾーは『恐怖の報酬』『悪魔のような女』などで知られる映画監督でした。
カラヤンとクルーゾーは1960年代半ばに音楽映画を制作しています。
主な作品には、
- シューマン:交響曲第4番
- モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番
- ベートーヴェン:交響曲第5番
- ドヴォルザーク:交響曲第9番《新世界より》
- ヴェルディ:レクイエム
などがあります。
学術研究では、クルーゾーとの共同作業が、カラヤンにとって本格的な映画制作の方法を学ぶ機会になったと指摘されています。
1964年には自分の指揮姿まで撮影し直した
カラヤンが映像にどれほど強い関心を持っていたかを示すエピソードがあります。
1964年、西ベルリンの放送局Sender Freies Berlinで、リヒャルト・シュトラウス《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》のテレビ制作が行われました。
演奏収録が終了すると、オーケストラの奏者たちはスタジオを去りました。
しかしカラヤンは残り、録音済みの演奏を流しながら、オーケストラがいない状態でもう一度指揮しました。
学術研究によれば、目的は自分の指揮動作を映像として撮影するためでした。
音だけではなく、手の動きや姿勢、指揮している姿そのものまで映像作品の構成要素として考えていたことが分かります。
単なるコンサート中継では満足しなかった
通常のコンサート映像であれば、舞台上の演奏を複数のカメラで撮影し、その場で切り替えたり後から編集したりします。
しかしカラヤンは、映像作品ではさらに細かな構成を求めるようになりました。
- どの場面で指揮者を映すか
- どこで第1ヴァイオリンを映すか
- 木管のソロをどの角度から撮るか
- 演奏者の手元をいつ映すか
- 照明をどのように使うか
- カメラをどこへ配置するか
といった部分まで検討しています。
カラヤンにとって映像は、演奏会の様子をそのまま記録するものではなく、音楽を映像として再構成するものでした。
フーゴ・ニーベリングとの映像制作
1960年代には、ドイツの映像監督フーゴ・ニーベリングとも仕事をしています。
ニーベリングは、クラシック音楽を単純に演奏風景として撮るのではなく、照明、色彩、鏡、レンズなどを使った映像表現を試みました。
1967年に制作されたベートーヴェンの交響曲第6番《田園》でも、音楽に合わせた実験的な映像表現が取り入れられています。
一方、カラヤンは次第に、映像表現そのものが強くなりすぎると音楽から注意がそれると考えるようになったとされています。
両者の考え方には違いが生まれていきました。
ニーベリングの映像をカラヤン側が再編集
ニーベリングが撮影した作品の一部は、その後カラヤン側によって再編集されています。
学術研究では、ニーベリングによるオリジナル版と、カラヤン側が編集した版を比較しています。
その分析によると、カラヤン側の編集では指揮するカラヤン自身が映る時間が増えているとされています。
これを単純に自己演出だけで説明することはできません。
指揮者の動きを映すことによって、音楽の流れや構造を視聴者へ示そうとした可能性もあります。
ただしこの頃から、カラヤンが映画監督へ全面的に任せるのではなく、映像の編集にも自ら強く関与する方向へ進んだことは確かです。
カメラ割りまで事前に設計するようになった
その後のカラヤンは、撮影方法にもさらに深く関与するようになります。
作品によっては本番撮影の前に別の演奏者を使い、音楽に合わせてカメラワークを検討しました。
どの小節でどの楽器を映すのかをあらかじめ決め、音楽の進行と映像を対応させていきます。
現在でいう映像ディレクターやスイッチャーに近い領域まで、カラヤン自身が関与していたことになります。
1982年、自らTelemondialを設立
そして1982年。
カラヤンは自らの映像制作会社、
TELEMONDIAL S.A.M.(テレモンディアル)
を設立しました。
カラヤン研究所の公式年譜にも、1982年にTelemondialを設立したことが記録されています。
目的は、カラヤン自身の音楽的遺産をビデオやレーザーディスクなどの映像メディアに記録することでした。
当時は家庭用映像メディアが普及し始めた時代です。
カラヤンは、こうした新しい映像媒体を使って自分のレパートリーを体系的に残そうとしました。
Telemondialではカラヤン自身が映像演出に関与
Telemondialの特徴は、カラヤンが単なる出演者ではなかったことです。
公式年譜でも、カラヤン自身の指揮・監督のもとで映像作品を制作するという構想だったことが記されています。
音楽の解釈だけでなく、
- 演奏者の見せ方
- カメラの切り替え
- 照明
- 画面構成
- 指揮者の映し方
など映像表現にも関与しました。
指揮者が自分の音楽映像を制作する会社を持ち、その映像演出にまで関わるという活動は、カラヤンのメディアへの関心をよく示しています。
なぜカラヤンは映像にこだわったのか
カラヤンが映像へ強い関心を持った理由の一つは、コンサートとは異なる形で音楽を残せることにあったと考えられます。
演奏会は、その場にいる聴衆しか直接体験できません。
レコードなら音を何度でも再生できます。
そして映像であれば、
演奏の音だけでなく、指揮や演奏者の動きまで残すことができます。
カラヤンは録音と同様、映像も音楽をより広い聴衆へ届けるメディアとして利用しました。
カラヤン自身のビジュアルイメージも映像に残った
映像作品では、カラヤン自身の姿も強い印象を残します。
銀色の髪、目を閉じた指揮姿、手の動き、舞台上の照明などは、カラヤンの映像作品を特徴づける要素になりました。
しかもカラヤン自身がカメラアングルや編集に関与していたため、その映像上の姿が偶然だけで作られたものではないことは確かです。
ただし、現代的な意味で「ブランド戦略」として意図的に作ったとまで断定できる資料はありません。
結果として、映像作品が「カラヤン」という視覚的なイメージを広く定着させる一因になったと見るのが適切でしょう。
生涯で約200本の音楽映像を制作
こうした活動の結果、カラヤンは生涯に約200本の音楽映画・映像作品を残しました。
カラヤン公式サイトでも、2,000を超える音声録音に加えて、約200本の映像制作があったとされています。
映像化された作品には、
- ベートーヴェン
- ブラームス
- ブルックナー
- チャイコフスキー
- リヒャルト・シュトラウス
- モーツァルト
- ヴェルディ
- ワーグナー
など、カラヤンの主要レパートリーが含まれています。
交響曲だけでなく、オペラやコンサート作品も映像として残されました。
2024年、Telemondial作品がSTAGE+で配信
カラヤンが残した映像は、後のメディアでも利用され続けています。
Telemondial設立当時は、ビデオやレーザーディスクが新しい家庭用映像メディアでした。
その後、
- VHS
- レーザーディスク
- DVD
- Blu-ray
- インターネット配信
へと映像メディアは変化しました。
そして2024年、Deutsche Grammophonの映像配信サービスSTAGE+で、Telemondial作品のデジタル配信が始まりました。
Deutsche Grammophonは、Telemondialで制作されたカラヤン作品をSTAGE+でデジタル配信し、UNITEL作品などと合わせた大規模なカラヤン映像アーカイブを公開しています。
カラヤン研究所も、2024年4月の時点でTelemondialとUNITELから26本のコンサート・オペラ映画が追加されたと発表しています。
その後さらに作品が追加され、STAGE+で視聴できるカラヤン映像は拡大しました。
1980年代の映像が40年以上後にも利用されている
カラヤンが1982年にTelemondialを設立した当時、現在のインターネット動画配信は存在していませんでした。
したがって、カラヤンが現在のストリーミング配信そのものを具体的に予測していた、と断定することはできません。
一方で、新しい映像メディアが今後発展していくことには強い関心を持っていました。
カラヤン公式サイトには、将来の技術発展を期待する本人の発言も残されています。
結果として、1980年代に制作された映像作品が40年以上後のストリーミング時代にも視聴されていることになります。
カラヤンは指揮だけでなくメディア制作にも深く関わった
カラヤンを「大量のレコードを録音した指揮者」とだけ見ると、その活動の一部を見落とすことになります。
映像分野では、
- 1964年にレオ・キルヒとCosmotelを設立
- Cosmotelの持分は50対50だったとの証言
- アンリ=ジョルジュ・クルーゾーら映画監督と共同制作
- 自分の指揮姿を撮影するため単独で指揮を再現
- 映像の編集やカメラワークへ深く関与
- 1982年にTelemondialを設立
- 約200本の音楽映像を制作
- その映像が現在もデジタル配信されている
という活動を行いました。
まとめ|カラヤンは映像制作にも取り組んだ指揮者だった
カラヤンが映像へ熱心だったことは知られていますが、その活動を詳しく見ると、単なる新技術好きにとどまりません。
1964年にはレオ・キルヒとCosmotelを共同設立し、学術研究によれば持分は50対50でした。
その後、映画監督との共同制作を経験し、自ら映像編集やカメラワークへ関わるようになります。
そして1982年にはTelemondialを設立し、自分のレパートリーを映像として体系的に残そうとしました。
生涯に制作された映像は約200本。
その一部はDVDやBlu-rayを経て、現在ではSTAGE+などのストリーミングでも見ることができます。
カラヤンは指揮者であると同時に、音楽映像をどのように制作し、どのように後世へ残すかという問題にも早い時期から取り組んだ音楽家でした。
1960年代から始めた映像制作が、半世紀以上たった現在も視聴され続けていることは、カラヤンのメディアへの関心を考えるうえで興味深い事実です。








