カラヤン

カラヤンの録音は突然始まった? クレーメルとドミンゴが驚いた「帝王の録音術」

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ヘルベルト・フォン・カラヤンは、生涯に膨大な数のレコードを残しました。

ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、フィルハーモニア管弦楽団などを指揮し、ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーからオペラまで、数え切れないほどの作品を録音しています。

そのためカラヤンには、

「録音に何度も何度もテイクを重ね、完璧な音を作り上げる指揮者」

というイメージを持つ人も多いかもしれません。

ところが実際の録音現場を調べると、意外な一面が見えてきます。

カラヤンは時として、

演奏家が「今日はリハーサルだ」と思っている段階から、本番録音を始めてしまった

のです。

その代表的な証言を残しているのが、世界的ヴァイオリニストのギドン・クレーメルと、テノール歌手プラシド・ドミンゴです。

さらにワーグナー歌手ジェス・トーマスも、似た経験をしています。

今回は、カラヤン独特の「録音術」を、実際に共演した音楽家たちの証言から見ていきます。

1976年、若きギドン・クレーメルがベルリンへ

1976年3月。

当時29歳だったギドン・クレーメルは、ベルリン・フィルとブラームスのヴァイオリン協奏曲を演奏するためベルリンを訪れました。

クレーメルはダヴィッド・オイストラフに学び、すでに国際的に注目されていた若手ヴァイオリニストでした。

相手は、

カラヤンとベルリン・フィル。

しかもブラームスのヴァイオリン協奏曲です。

若いクレーメルにとっても緊張する仕事だったでしょう。

演奏会は1976年3月7日の日曜日。

その前日の3月6日に、ベルリン・フィルハーモニーでリハーサルが行われました。

カラヤンはオーディションすらしなかった

初めて一緒に仕事をする若手ソリストなら、通常は指揮者が事前に演奏を確認しても不思議ではありません。

ところがカラヤンは、クレーメルのソロを事前に聴く必要はないと考えていました。

カラヤン公式サイトが紹介するクレーメルの回想によれば、カラヤンは、

「君がどう弾くかは知っている。大丈夫だ」

という趣旨で、事前のオーディションを断ったといいます。

これだけでもかなり大胆です。

そしてリハーサルが始まりました。

「録音しておきます」と聞かされたクレーメル

クレーメルはリハーサル直前、

今日の演奏は録音されると聞かされました。

しかし彼は、

「あとで修正点を確認するためのリハーサル録音」

だと思っていました。

現在でも、オーケストラのリハーサルを録音して後からチェックすることは珍しくありません。

ところが突然、スタジオが静まり返ります。

録音の赤いランプが点灯。

そして演奏が始まりました。

クレーメル「リハーサルが、そのまま録音になった」

演奏が進むうちに、クレーメルは異変に気づきます。

これは単なる資料用の録音ではない。

本当に発売するためのレコード録音をしている。

クレーメルは後年、

「リハーサルが事実上そのまま録音になった」

という趣旨で回想しています。

本人にとっては、かなりの衝撃だったようです。

カラヤン公式サイトでは、この時のクレーメルについて、

本番録音だと気づいてパニックになった

と紹介しています。

しかし録音はそのまま続けられました。

ブラームスの協奏曲をわずか数時間で録音

さらに驚くのは、その録音時間です。

クレーメルの回想によれば、

初日の録音はスタジオで約2時間。

翌朝にさらに約1時間半。

カデンツァだけはオーケストラが帰った後に別録りしました。

つまり、

ブラームスのヴァイオリン協奏曲という大作を、実質数時間程度で録音し終えてしまった

のです。

この録音は現在もWarner Classicsから発売されており、1976年録音の正式な商品として残っています。

しかも翌日のコンサートは録音しなかった

さらに面白いのは翌日の演奏会です。

普通なら、

「せっかく本番を演奏するのだから、ライブも録音して良い部分を使おう」

と考えそうです。

しかし翌日のコンサートはレコード制作のためには録音されませんでした。

前日の「リハーサル」で必要な素材は、すでに揃っていたからです。

クレーメル本人はむしろ、

翌日のコンサートの方が自由で、音楽的にはさらに刺激的だった

と回想しています。

それでもカラヤンは、前日の演奏を商品として残しました。

「良い瞬間を逃さない」カラヤン

クレーメルは、このカラヤンの姿勢について、

「良い瞬間を捉えることが、カラヤンの芸術哲学の一部だった」

という趣旨で説明しています。

何度もテイクを重ねれば、演奏の精度は上げられるかもしれません。

しかし最初の演奏にしか存在しない、

緊張感、集中力、勢い、自然さもあります。

カラヤンは、

「今の演奏がいい」と判断したら、それを逃さず商品にする

能力を持っていたのでしょう。

クレーメルだけではなかった

もしクレーメルだけの話なら、

「たまたまその日の演奏がよかったから録音にした」

と考えることもできます。

しかし、似た証言を残している世界的歌手がいます。

プラシド・ドミンゴ

です。

1974年《蝶々夫人》の録音

1974年。

カラヤンはプッチーニのオペラ《蝶々夫人》を制作していました。

主な出演者は、

  • 蝶々夫人:ミレッラ・フレーニ
  • ピンカートン:プラシド・ドミンゴ
  • スズキ:クリスタ・ルートヴィヒ
  • シャープレス:ロバート・カーンズ

オーケストラはウィーン・フィル。

指揮はカラヤンです。

Deutsche Grammophonにも、この豪華な顔ぶれによる《蝶々夫人》が現在まで残っています。

ドミンゴは「今日はリハーサル」だと思っていた

ドミンゴ自身の回想によれば、録音当日、彼は朝10時に現場へ入りました。

そして自分の場所につきます。

ドミンゴは当然、

これからまずリハーサルをする

と思っていました。

ところが突然、カラヤンのそばにある赤いランプが点灯します。

カラヤンが指揮を始めました。

録音開始です。

55分後、第1幕の録音が終わった

そして驚くべきことに、

約55分後には《蝶々夫人》第1幕の録音が終了していました。

ドミンゴは驚いてカラヤンに、

「今日はリハーサルをするのだと思っていました」

という趣旨で尋ねます。

するとカラヤンは、

優れた音楽家同士なら、リハーサルは必要ない

という考えを示したとドミンゴは回想しています。

ドミンゴ自身も、

演奏者全員が完全に一体になっていたことを認めています。

普通なら「まず合わせよう」と考えるところ

オペラ録音は非常に複雑です。

歌手だけでも複数。

巨大なオーケストラ。

指揮者。

録音スタッフ。

それぞれのタイミングを合わせる必要があります。

通常なら、

まず何度か合わせてから本番録音

と考えるでしょう。

しかしカラヤンは違いました。

出演者の能力を信頼できると判断すれば、

最初から本番。

その集中力を録音してしまうのです。

ジェス・トーマスにも同じことをしていた

さらに、このやり方はクレーメルやドミンゴだけではありません。

ワーグナー歌手として世界的に活躍した、

ジェス・トーマス

にも似たエピソードがあります。

カラヤンと《ジークフリート》を録音した際、トーマスは後になって、

「自分の正式な録音日はいつなのか」

とカラヤンに尋ねました。

するとカラヤンは驚き、

トーマスをスタジオへ連れて行きました。

そこで聴かされたのは、

すでに録音されていた《ジークフリート》第1幕。

つまりトーマスがリハーサルだと思って歌っていた演奏が、すでに本番として録音されていたのです。

トーマス本人は驚きました。

しかしカラヤンは、

リラックスして自然に歌っているその演奏を気に入り、最終版として残しました。

なぜ演奏家に「本番」と言わなかったのか

ここまで似た話が複数残っていると、

カラヤンが意図的にそうしていた可能性を考えたくなります。

演奏家に、

「これはレコードとして何十年も残る本番です」

と言えば、どうしても緊張します。

ミスを恐れ、

安全な演奏をするようになる可能性もあります。

しかし、

「今日はリハーサル」

と思っていれば、演奏者はもっと自然に音楽を作れる。

カラヤンは、

その自然な演奏の中から最高の瞬間を拾おうとしていた

のかもしれません。

完璧主義者なのに「一発の演奏」を大切にした

カラヤンには強烈な完璧主義者というイメージがあります。

実際、録音技術や音響について非常に細かく指示しました。

マイクの配置、オーケストラのバランス、編集、最終的な音質まで深く関与しています。

しかし、

演奏そのものについては、必ずしも何十回も録り直すことだけを求めていたわけではない

ことが、これらの証言から見えてきます。

良い演奏が生まれた。

それなら使う。

非常に合理的です。

ベルリン・フィルだからできた録音方法でもある

もちろん、これはどんなオーケストラでもできる方法ではありません。

ベルリン・フィルは当時すでに、

カラヤンと長年にわたって膨大な演奏と録音を行っていました。

指揮者が細かく説明しなくても、

カラヤンが何を求めているのかを楽団側が理解している。

ブラームスならどのような響きが必要か。

フレーズをどこへ持っていくか。

どの程度の音量やレガートが必要か。

それを瞬時に実現できるオーケストラだったからこそ、

「リハーサルからそのまま録音」

という仕事が成立したのでしょう。

カラヤンは録音時間も非常に効率的だった

カラヤン研究者リチャード・オズボーンは、カラヤンの録音制作について、

速さ、効率性、そして対応能力が驚異的だった

と評価しています。

これはカラヤンの大量のディスコグラフィーを考える上でも重要です。

カラヤンは生涯に2,000を超える音源を残しました。

それほど大量の録音を実現できた背景には、

「必要以上に時間をかけない」

という仕事の仕方もあったのでしょう。

現在も聴けるクレーメルとのブラームス

1976年のカラヤン、クレーメル、ベルリン・フィルによるブラームスのヴァイオリン協奏曲は、現在も発売されています。

録音時間は約42分。

若いクレーメルの鋭いヴァイオリンと、カラヤン時代のベルリン・フィルによる厚く豊かなブラームス・サウンドを聴くことができます。

しかし、この録音の裏側を知った上で聴くと印象が少し変わります。

クレーメルは、

「これはリハーサルだ」

と思って弾き始めていたのです。

そしてその演奏が、半世紀後の現在まで残っています。

録音技術ではなく「人間」を読んでいた?

カラヤンは録音技術の先駆者としてよく語られます。

ステレオ録音、デジタル録音、CD、映像制作など、新しい技術を積極的に採用しました。

しかし今回のエピソードから見えてくるのは、

単なる「機械好きの指揮者」ではありません。

演奏家がどのような心理状態なら最高の演奏をするかまで考えていた

可能性があります。

「本番ですよ」と言わない。

余計な緊張を与えない。

そして最高の演奏が出た瞬間に録音を完成させる。

ある意味では、録音機材以上に、

人間の心理を利用した録音術

だったのかもしれません。

まとめ

カラヤンの録音現場には、現在では信じられないようなエピソードが残っています。

  • クレーメルはリハーサルだと思ってブラームスを弾き始めた
  • 実際にはその演奏が本番録音だった
  • 録音は数時間程度でほぼ完成
  • 翌日のコンサートはレコード用には録音されなかった
  • ドミンゴも《蝶々夫人》でリハーサルだと思っていた
  • 約55分で第1幕を録音
  • ジェス・トーマスも後になって自分の正式録音日を尋ねた
  • 実はリハーサル録音がすでに最終版になっていた

という話が残っています。

そこから見えてくるのは、

「完璧になるまで何度も録り直す帝王」

だけではありません。

むしろ、

最高の瞬間が出たら、それを逃さず録音として残す

という非常に実践的なプロデューサーとしてのカラヤンです。

「リハーサル」と思わせることで自然な演奏を引き出し、

それをそのまま商品にしてしまう。

これもまた、膨大な名盤を残したカラヤン独特の仕事術だったのでしょう。

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