カラヤンとベルリン・フィル、そして早稲田大学交響楽団の物語

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カラヤン、ベルリン・フィル、早稲田大学交響楽団には、1978年のカラヤン・コンクール優勝を起点とする深い交流があります。名誉博士号、大隈講堂での公開リハーサル、ベルリン・フィル名手との交流まで、その歴史をたどります。

カラヤン、ベルリン・フィル、早稲田大学――三つの名前をつなぐ縁

20世紀を代表する指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンと、その黄金期をともに築いたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。そして、日本の学生オーケストラの中でも特別な存在感を持つ早稲田大学交響楽団、通称ワセオケ。

一見すると遠く離れているように見えるこの三者ですが、その間には長年にわたる深い縁があります。

その大きな出発点となったのが、1978年の「カラヤン・コンクール」での優勝でした。さらに翌1979年には、早稲田大学がカラヤンへ名誉博士号を贈り、大隈講堂では公開リハーサルも行われました。

ここでは、カラヤン、ベルリン・フィル、早稲田大学交響楽団の交流がどのように始まり、その後どのように受け継がれていったのかを振り返ります。

1978年「カラヤン・コンクール」で早稲田大学交響楽団が優勝

物語の大きな転機となったのが、1978年にベルリンで開かれた第5回国際青少年オーケストラ大会、通称「カラヤン・コンクール」です。

世界各地から若いオーケストラが参加するこの大会に、早稲田大学交響楽団も日本から参加しました。

舞台となったのは、ベルリン・フィルの本拠地として知られるベルリン・フィルハーモニー。

ワセオケはストラヴィンスキーの「春の祭典」という難曲に挑み、その演奏が高く評価されました。

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そして大会で金賞を受賞し、学生オーケストラとして国際的に大きな注目を集めることになります。

演奏を聴いたカラヤンは、「一人のプロもいない学生オーケストラだとは信じられない」と驚いたと伝えられています。

さらにカラヤンは、将来このオーケストラを自ら指揮することを約束。翌1979年、来日したカラヤンは早稲田大学を訪れ、大隈講堂でワセオケの公開リハーサルを行いました。

1979年、カラヤンに早稲田大学名誉博士号

翌1979年、早稲田大学はカラヤンの芸術的業績と、早稲田大学交響楽団との交流をたたえ、名誉博士号を贈りました。

授与式が行われたのは、早稲田大学を象徴する大隈講堂です。

式典では多くの学生や聴衆が見守る中、カラヤンが壇上に立ち、名誉博士号を受けました。

しかし、この日の大きな出来事は授与式だけではありません。

大隈講堂でカラヤンがワセオケを指揮

名誉博士号授与にあわせて、カラヤンは早稲田大学交響楽団の公開リハーサルを行いました。

演奏されたのは、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」です。

ベルリン・フィルを率いて世界の頂点に立っていたカラヤンが、学生オーケストラを直接指揮するという、非常に貴重な機会となりました。

カラヤンはテンポ、フレージング、オーケストラのバランスなどを学生たちに伝えながら、実際に演奏を作り上げていきました。

当時の団員にとっては、世界的指揮者から直接指導を受ける忘れられない経験だったことでしょう。

この出来事は、その後も早稲田大学交響楽団の歴史の中で語り継がれる重要なエピソードとなりました。

ベルリン・フィルの名奏者たちと早稲田大学の交流

カラヤンへの名誉博士号授与と公開リハーサルは、一度限りの出来事で終わりませんでした。

その後、ベルリン・フィルの奏者たちと早稲田大学交響楽団との交流も続いていきます。

第1コンサートマスターを務めた安永徹をはじめ、チェロのオットマール・ボルヴィツキー、ホルンのゲルト・ザイフェルト、オーボエのハンスイェルク・シェレンベルガーなど、ベルリン・フィルを代表する奏者たちがワセオケと接点を持ちました。

単なるゲストとして演奏するだけでなく、合奏やセクション練習などを通して、ベルリン・フィルで培われた音楽づくりを学生たちへ伝える機会にもなりました。

カラヤンだけでなく、ベルリン・フィルの奏者たちとの交流が続いたことによって、1978年から始まった縁はより深いものになっていきました。

ワセオケは再びベルリン・フィルハーモニーへ

早稲田大学交響楽団は、その後もヨーロッパ演奏旅行を続け、ベルリンを訪れています。

1978年のカラヤン・コンクールで演奏したベルリン・フィルハーモニーは、ワセオケにとって特別な舞台となりました。

その後のヨーロッパ公演でもベルリンで演奏を行い、学生オーケストラとして国際的な活動を続けていきます。

ベルリン・フィルの本拠地であるフィルハーモニーで何度も演奏するという経験は、学生オーケストラとしては非常に印象的なものです。

その背景には、1978年のカラヤン・コンクールで築かれたベルリンとのつながりがありました。

2008年、カラヤン生誕100年を早稲田で祝う

2008年は、カラヤン生誕100年にあたる年でした。

世界各地で記念行事が開催される中、早稲田大学でもカラヤンとの歴史を振り返る催しが行われました。

大隈講堂では「カラヤン生誕100年記念演奏会」が開催され、早稲田大学交響楽団が演奏しました。

1979年にカラヤン自身がワセオケを指揮した場所で、約30年後に生誕100年を記念する演奏会が開かれたことになります。

また、早稲田大学ではカラヤンとワセオケの交流を紹介する資料展示なども行われ、両者の歴史が改めて振り返られました。

大隈講堂とベルリン・フィルハーモニー

カラヤンと早稲田大学交響楽団の歴史を考えると、象徴的な二つの場所があります。

ひとつは東京の大隈講堂、もうひとつはベルリンのベルリン・フィルハーモニーです。

大隈講堂では、カラヤンが早稲田大学の名誉博士となり、学生オーケストラを直接指揮しました。

一方、ベルリン・フィルハーモニーでは、1978年にワセオケがカラヤン・コンクールへ参加し、高い評価を受けました。

東京とベルリンという遠く離れた二つの都市ですが、この二つのホールがカラヤンと早稲田大学の交流を象徴する舞台になったと言えるでしょう。

カラヤンから始まったベルリンと早稲田の縁

1978年のカラヤン・コンクールから長い年月が経ちましたが、早稲田大学交響楽団は現在も海外公演を続けています。

学生オーケストラのメンバーは毎年入れ替わっていきますが、先輩たちが築いた歴史や伝統は次の世代へ受け継がれています。

カラヤンとベルリン・フィル、そして早稲田大学交響楽団。

この三者を結んだ最初の大きな出来事は、1978年のベルリンでの演奏でした。

その翌年にはカラヤンが早稲田を訪れ、大隈講堂で学生たちを指揮。 その後はベルリン・フィルの名奏者との交流や、ワセオケ自身のヨーロッパ公演へと歴史がつながっていきました。

カラヤンと早稲田大学の交流は、単なる有名指揮者の訪問というだけではなく、日本の学生オーケストラと世界のクラシック音楽界を結んだ象徴的な出来事だったと言えるでしょう。

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