ベルリン・フィルを指揮した歴代日本人指揮者一覧|山田和樹・佐渡裕・小澤征爾から近衛秀麿まで
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した日本人指揮者は、決して多くありません。
近年では山田和樹さんが2025年にベルリン・フィルへデビューし、大きな注目を集めました。さらに2011年には佐渡裕さん、1966年には小澤征爾さんが登場しています。
その歴史をさかのぼると、日本人として初めてベルリン・フィルを指揮したのは近衛秀麿さんで、1924年のことでした。
この記事では、ベルリン・フィルを指揮した歴代の日本人指揮者を、最近の人物から順に紹介します。
ベルリン・フィルを指揮した主な歴代日本人指揮者一覧(敬称略)
| 指揮者 | ベルリン・フィルとの主な関係 |
|---|---|
| 山田和樹 | 2025年にデビュー |
| 佐渡裕 | 2011年にデビュー |
| 小澤征爾 | 1966年初登場、その後もたびたび共演 |
| 若杉弘 | 客演 |
| 小泉和裕 | 1973年に指揮、1975年には定期演奏会 |
| 渡邉暁雄 | 客演 |
| 岩城宏之 | 客演 |
| 大町陽一郎 | 客演 |
| 朝比奈隆 | 1956年初登場、複数回指揮 |
| 尾高尚忠 | 戦前に指揮 |
| 山田耕筰 | 1937年に自作を指揮 |
| 貴志康一 | 1934年に指揮 |
| 近衛秀麿 | 1924年、日本人として初めて指揮 |
ベルリン・フィルで活躍した日本人は、指揮者だけではありません。現在・歴代の日本人団員については、こちらの記事で詳しく紹介しています。
ベルリン・フィルを指揮した主な日本人指揮者
山田和樹|2025年にベルリン・フィルへデビュー
最近では、山田和樹さんが2025年6月にベルリン・フィルへデビューしました。
山田さんは2009年のブザンソン国際指揮者コンクールで優勝して国際的に注目され、その後ヨーロッパを中心に活躍。2016年からモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督兼音楽監督を務め、2023年には英国の名門バーミンガム市交響楽団の音楽監督に就任しました。
さらに2026/27シーズンからは、ベルリンを本拠地とするベルリン・ドイツ交響楽団の首席指揮者兼芸術監督を務めています。ベルリンを活動拠点の一つとしている日本人指揮者です。
ベルリン・フィルとの公演は2025年6月12日、13日、14日の3日間にわたって行われました。
演奏された主な曲目は、レスピーギ「ローマの噴水」、武満徹「ウォーター・ドリーミング」、サン=サーンス「交響曲第3番『オルガン付き』」です。
武満徹さんの作品では、ベルリン・フィル首席フルート奏者のエマニュエル・パユが独奏を担当しました。
日本人指揮者がベルリン・フィルの定期演奏会に登場する機会は多くないため、日本でも大きな注目を集めました。
佐渡裕|2011年にベルリン・フィルへデビュー
佐渡裕さんは2011年5月、ベルリン・フィルにデビューしました。
佐渡さんはレナード・バーンスタインや小澤征爾さんに学び、1989年にはブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。1995年には第1回レナード・バーンスタイン・エルサレム国際指揮者コンクールでも優勝し、ヨーロッパを中心に国際的なキャリアを築きました。
国内では兵庫芸術文化センター管弦楽団の芸術監督を長く務めるなど、オーケストラ活動だけでなく若い音楽家の育成にも力を注いでいます。
ベルリン・フィルとの公演で演奏されたのは、武満徹さんの「フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム」と、ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」です。
このベルリン・フィル・デビューは、2011年3月11日の東日本大震災から約2か月後に行われました。
震災直後ということもあり、公演には日本への思いが強く重なりました。佐渡さん自身にとっても大きな意味を持つ舞台となり、日本でも大きく報道されました。
また、この公演では樫本大進さんがベルリン・フィルの第1コンサートマスターを務めており、日本人指揮者と日本人コンサートマスターがベルリン・フィルの舞台で共演したことも印象的でした。
佐渡さんは後に、このとき樫本さんがコンサートマスターとして在籍していたことを心強く感じたと振り返っています。
さらに、この公演を収録したCDやDVDの印税は、東日本大震災の義援金に充てられました。
佐渡裕さんにとってベルリン・フィルの指揮台に立つことは長年の目標の一つであり、その実現が震災直後の時期と重なったことで、音楽的な成功だけでなく、日本への思いを背負った特別なデビュー公演となりました。
小澤征爾|ベルリン・フィルと長い関係を築いた日本人指揮者
ベルリン・フィルとの関係で、日本人指揮者の中でも特別な存在といえるのが小澤征爾さんです。
小澤さんは1959年にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、その後シャルル・ミュンシュやヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタインらのもとで研鑽を積みました。
その後、トロント交響楽団やサンフランシスコ交響楽団などで要職を務め、1973年にはボストン交響楽団の音楽監督に就任。長年にわたり同楽団を率い、世界的な指揮者として確固たる地位を築きました。
小澤さんは1966年に初めてベルリン・フィルを指揮し、その後も何度も同楽団へ招かれました。
また1986年には、ベルリン・フィルの日本公演を予定していたヘルベルト・フォン・カラヤンが健康上の理由で来日を取りやめ、小澤さんが代役としてベルリン・フィルを指揮しました。
サントリーホールでは10月28日と29日にベートーヴェン「交響曲第4番」とブラームス「交響曲第1番」を指揮。さらに10月30日にはシューベルト「未完成」と、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」を演奏しました。
「英雄の生涯」では、当時ベルリン・フィルの第1コンサートマスターだった安永徹さんがヴァイオリン・ソロを担当しています。
この日本公演はサントリーホールのオープニングシリーズの一環でもあり、小澤さんとベルリン・フィルの関係を語るうえで重要な出来事の一つです。
さらに小澤さんは、ベルリン・フィル恒例の野外コンサート「ワルトビューネ」にも登場しています。
1993年には「ロシアン・ナイト」を指揮し、チャイコフスキー「1812年」、ストラヴィンスキー「火の鳥」、ボロディン「だったん人の踊り」などを演奏しました。
さらに2003年には「ガーシュウィン・ナイト」に登場し、「パリのアメリカ人」や「ラプソディ・イン・ブルー」など、ガーシュウィン作品を中心としたプログラムでベルリン・フィルを指揮しています。
ワルトビューネは約2万人規模の聴衆が集まるベルリン・フィルの夏の恒例公演であり、そこで複数回指揮したことからも、小澤さんとベルリン・フィルの関係の深さがうかがえます。
一度の客演だけで終わる指揮者も少なくない中、小澤さんは長年にわたりベルリン・フィルとの関係を築き、2016年にはベルリン・フィルの名誉団員にも選ばれています。
若杉弘|ドイツを拠点に活躍した国際派指揮者
若杉弘さんも、ベルリン・フィルを指揮した日本人指揮者の一人です。
若杉さんはドイツを中心にヨーロッパで長く活動し、オペラや現代音楽の分野でも高い評価を受けました。
ケルン放送交響楽団やドレスデン国立歌劇場など、ドイツ語圏の主要なオーケストラや歌劇場で活動し、ベルリン・フィルにも客演しています。
若杉さんは特に20世紀音楽や現代作品を得意とした指揮者として知られており、ベルリンをはじめヨーロッパ各地で日本人指揮者の存在感を高めた一人です。
小泉和裕|カラヤン国際指揮者コンクール優勝後にベルリン・フィルを指揮
小泉和裕さんは1973年、第3回カラヤン国際指揮者コンクールで第1位を獲得しました。
その後ベルリン・フィルを指揮してベルリン・デビューを飾り、さらに1975年にはベルリン・フィルの定期演奏会にも登場しています。
ベルリン・フィルの定期演奏会に再び招かれたことからも、小泉さんが当時ヨーロッパで高く評価されていたことがうかがえます。
その後もフランス国立放送管弦楽団、ミュンヘン・フィル、バイエルン放送交響楽団などを指揮し、1976年にはザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルも指揮しています。
渡邉暁雄|1960年代にベルリン・フィルを指揮
渡邉暁雄さんも、ベルリン・フィルを指揮した日本人指揮者の一人です。
1968年2月11日と12日には、ベルリン・フィルの演奏会に登場しました。
この公演では、モーツァルトの「交響曲第35番『ハフナー』」、ベートーヴェンのピアノ協奏曲などがプログラムに組まれていました。
渡邉さんは日本フィルハーモニー交響楽団の創設に深く関わり、同楽団の音楽監督を務めたほか、シベリウス作品の演奏でも高い評価を受けた指揮者です。
1960年代という早い時期にベルリン・フィルの指揮台に立っていたことは、日本人指揮者の海外進出を考えるうえでも重要な実績といえるでしょう。
岩城宏之|ベルリン・フィルで日本人作曲家の作品も指揮
岩城宏之さんもベルリン・フィルへの客演歴を持っています。
岩城さんはNHK交響楽団をはじめ、メルボルン交響楽団など海外のオーケストラでも長く活動し、日本人指揮者の国際的な活躍を代表する一人となりました。
ベルリン・フィルとの共演では、日本人作曲家の作品にも取り組んでいます。
1980年前後には、作曲家・石井眞木の「遭遇II(Sho-Kō)」をベルリン・フィルと演奏しており、日本の現代音楽をヨーロッパへ紹介する役割も果たしました。
ベートーヴェンやブラームスなどの古典・ロマン派だけでなく、現代作品を積極的に取り上げたことも岩城さんの大きな特徴です。
大町陽一郎|1959年にベルリン・フィルを指揮
大町陽一郎さんも、ベルリン・フィルを指揮した日本人指揮者です。
1959年7月2日にはベルリンでベルリン・フィルを指揮し、フランツ・シュミットの「ハンガリー騎兵の歌による変奏曲」、メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」、シューベルトの「交響曲第5番」などを演奏しました。
ヴァイオリン独奏はオスカー・ヤトコが務めています。
大町さんはウィーン留学時代にヘルベルト・フォン・カラヤンに学び、その後もカラヤンとの交流を持ったことで知られています。
まだ日本人指揮者がヨーロッパの一流オーケストラに登場することが珍しかった1950年代にベルリン・フィルを指揮したことは、大きな実績といえるでしょう。
朝比奈隆|1950年代に複数回ベルリン・フィルを指揮
朝比奈隆さんは1950年代にベルリン・フィルを複数回指揮しました。
1956年には、芥川也寸志「弦楽のための三楽章」、大栗裕「大阪俗謡による幻想曲」、ベートーヴェン「交響曲第4番」などを演奏しています。
さらに1957年10月10日には再びベルリン・フィルを指揮し、ベートーヴェン「交響曲第1番」、バルトーク「ピアノと管弦楽のためのラプソディ」、レスピーギ「ローマの祭」を演奏しました。
バルトークではピアニストのアンドール・フォルデスが独奏を務めています。
一度だけの客演ではなく複数年にわたって招かれており、戦後の日本人指揮者としてベルリン・フィルとの関係を築いた先駆的な存在でした。
尾高尚忠|戦前のヨーロッパでベルリン・フィルを指揮
尾高尚忠さんも、戦前にベルリン・フィルを指揮した日本人の一人です。
尾高さんは1930年代にウィーンで作曲と指揮を学び、名指揮者フェリックス・ワインガルトナーにも師事しました。
ヨーロッパ滞在中にはウィーン交響楽団だけでなくベルリン・フィルの指揮台にも立っています。
尾高さん自身も「日本組曲」など数多くの管弦楽作品を作曲しており、指揮者と作曲家の両面から日本とヨーロッパの音楽交流に大きな役割を果たしました。
帰国後は現在のNHK交響楽団につながる新交響楽団の指揮者として活躍しましたが、1951年に39歳の若さで亡くなっています。
山田耕筰|1937年にベルリン・フィルで自作を指揮
日本を代表する作曲家として知られる山田耕筰さんも、ベルリン・フィルを指揮しています。
1937年にはベルリン・フィルを指揮し、自身が作曲した作品を取り上げました。
山田さんは東京音楽学校卒業後、1910年代にベルリンへ留学し、マックス・ブルッフらのもとで作曲を学んでいます。
その後、日本で本格的な交響楽運動を進める一方、海外でも自作を積極的に紹介しました。
作曲家自身が世界最高峰のオーケストラの一つであるベルリン・フィルを指揮して自作を披露したことは、日本の近代音楽史においても大きな出来事でした。
貴志康一|25歳でベルリン・フィルを指揮
貴志康一さんは1934年11月、わずか25歳でベルリン・フィルを指揮しました。
この公演ではグルック、ドビュッシー、リヒャルト・シュトラウスなどの作品とともに、貴志さん自身の交響作品や歌曲も取り上げられました。
貴志さんは交響曲「仏陀」をはじめ、日本的な素材を取り入れながら西洋音楽の技法で書かれた作品を数多く残しています。
またベルリン・フィルとは、自作の「日本スケッチ」や「日本組曲」などの録音も残しました。
近衛秀麿さんに続いて日本人として非常に早い時期にベルリン・フィルと共演しましたが、1937年に28歳の若さで亡くなっています。
近衛秀麿|ベルリン・フィルを指揮した最初の日本人
日本人として最初にベルリン・フィルを指揮したのが近衛秀麿さんです。
初登場は1924年1月18日。ベルリンのベートーヴェン・ザールでベルリン・フィルを指揮しました。
この演奏会では、モーツァルト「劇場支配人」序曲、ラロ「チェロ協奏曲」、カリンニコフ「交響曲第1番」のほか、近衛さん自身の歌曲も演奏されています。
自作の歌曲には「ちんちん千鳥」や「舟唄」など日本の旋律を生かした作品も含まれており、現地の聴衆から好評を得たと伝えられています。
その後もベルリン・フィルとの共演を重ね、1924年から1940年までの間に複数回同楽団を指揮しました。
日本人がヨーロッパの一流オーケストラを指揮すること自体が極めて珍しかった時代だけに、近衛さんの活動は日本人指揮者の海外進出の先駆けといえるでしょう。
現在ベルリン・フィルでヴィオラ奏者として活動する近衞剛大さんは、近衛秀麿さんの曾孫にあたります。
日本人でベルリン・フィルの首席指揮者になった人はいる?
これまで、日本人がベルリン・フィルの首席指揮者や芸術監督に就任した例はありません。
ベルリン・フィルの歴代首席指揮者には、フルトヴェングラー、カラヤン、アバド、ラトル、ペトレンコなどが並びます。
日本人指揮者は基本的に客演指揮者としてベルリン・フィルの指揮台に立ってきました。
その中でも、長年にわたり何度も共演した小澤征爾さんは特別な存在だったといえるでしょう。
ベルリン・フィルを指揮する日本人は今後も現れる?
ベルリン・フィルを指揮した日本人の歴史は、1924年の近衛秀麿さんから100年以上続いています。
2025年には山田和樹さんが新たにベルリン・フィルの指揮台へ立ち、日本でも大きな注目を集めました。
今後も新たな日本人指揮者がベルリン・フィルへ客演する可能性は十分にあります。
ベルリン・フィルに在籍した日本人奏者については、別記事で現在のメンバーから歴代奏者まで詳しく紹介しています。






