カラヤンとベルリンフィル研究ブログ

サビーネ・マイヤー事件とは?カラヤンとベルリン・フィル分裂の真相と女性差別問題の全貌

2025年12月14日 当サイトにはプロモーションが含まれます

サビーネ・マイヤー事件とは何だったのか ― カラヤンとベルリン・フィルを揺るがした「女性クラリネット奏者」騒動

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1980年代初頭、世界最高峰と称されたベルリン・フィルと、その絶対的カリスマ指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン。
その両者の関係を決定的にこじらせた出来事として語られるのが、クラリネット奏者サビーネ・マイヤー事件です。
「女性団員」「音色は合っていたのか」「誰が決定権を持つのか」といった問題が一気に噴き出し、カラヤン時代の終わりを象徴する事件として、今もなおクラシック界で語り継がれています。

ここでは、この事件を
・当時のベルリン・フィルの体制と女性奏者をめぐる背景
・マイヤーの入団と試用期間
・団員投票と、カラヤンとの対立
・事件の決着と、その後の影響
という流れで整理してみます。

ザビーネ・マイヤー事件

1. 背景 ― 「伝統的男性オーケストラ」としてのベルリン・フィル

ベルリン・フィルは、20世紀後半までほぼ完全な「男性オーケストラ」でした。
1982年にようやく、ヴァイオリンのマドレーヌ・カルッツォが初の女性正団員として採用されますが、それでも女性団員は極めて少数で、「基本的には男の世界」という雰囲気が根強く残っていました。

一方で、時代はすでに1970年代から80年代へ。西側の主要オーケストラでは、女性奏者の採用は徐々に進み、オーディションのあり方やジェンダー平等が議論され始めていました。
そんな中で、ベルリン・フィルだけは「伝統」や「独自性」を理由に男性中心の編成を維持していたという事情があります。

2. サビーネ・マイヤーとは ― 若きドイツの超逸材クラリネット奏者

サビーネ・マイヤー(Sabine Meyer, 1959– )は、ドイツ南部クライルスハイム出身のクラリネット奏者です。父親がクラリネット奏者で、幼いころから楽器に親しみ、シュトゥットガルト音大、ハノーファー音大で学びました。

卒業後、まずバイエルン放送交響楽団のクラリネット奏者としてキャリアを開始し、その卓越したテクニックと音楽性で注目を集めます。
まだ20代前半にして、すでにドイツ国内で「次世代を代表するクラリネットの逸材」として知られる存在になっていました。

3. ベルリン・フィル入団 ― カラヤンの強い推薦

(1)1982年9月、2番目の女性団員として採用

1982年9月1日、ベルリン・フィルのインテンダント(事務総長)は、カラヤンの強い要請により、サビーネ・マイヤーを「第2ソロ・クラリネット(Karl Leister と並ぶポジション)」として、1年間の試用期間付きで採用します。
彼女はカルッツォに続くオーケストラ史上2人目の女性団員、そして初の女性管楽器奏者でした。

マイヤーの採用は、当初から一部の団員の間で議論を呼んでいたと言われます。
・「ベルリン・フィルの伝統的なサウンドに合うのか」
・「女性奏者を受け入れるべきか」
といった、音楽的・文化的な(そしてジェンダーに関わる)疑問が渦巻いていました。

(2)なぜカラヤンは彼女を推したのか

カラヤンは、もともと女性奏者に対して慎重な姿勢を見せていた時期もありますが、1980年代に入ると、優秀な奏者であれば性別を問わず起用する方針を強めていきます。
マイヤーについても、その高い技術と音楽性に惚れ込み、「ベルリン・フィルの新しいクラリネットの柱にふさわしい」と判断したとされています。

つまり、カラヤンにとっては「優秀なクラリネット奏者を採った」という極めてシンプルな決断でしたが、
オーケストラ内部では「女性であること」「外部からの強い推薦」という2つの要素が複雑に絡み合い、火種になっていくことになります。

4. 試用期間と団員投票 ― 「音が合わない」のか、「女性だから」なのか

(1)1年の試用期間と内部の空気

ベルリン・フィルでは、原則として新団員は1年間の試用期間を経たのち、団員全体の投票によって正式採用か否かを決めるという慣行があります。
マイヤーも例外ではなく、1982〜83年シーズンを通して、ベルリン・フィルのクラリネット・セクションの一員として演奏を続けました。

しかしこの間、内部の空気は決して穏やかなものではなかったと伝えられています。
・「音色がセクションと違う」
・「ベルリン・フィル特有のブレンドに馴染んでいない」
という批判が、一部の団員からたびたび挙がっていたと言われます。

(2)投票結果 ― 73対4という圧倒的多数による否決

試用期間の終了後、団員による投票が行われました。結果は、賛成4票、反対73票という圧倒的多数で「不採用」。
オーケストラ側は公式には
「マイヤーの音色は、既存のクラリネット・セクションのサウンドに十分に溶け込んでいない」
という「音楽的理由」を主張しました。

しかし、外部の評論家やメディア、さらにカラヤン自身は、
「本当の理由は性別に対する偏見ではないか」
と受け止めました。
当時の報道でも、「世界最高のオーケストラが、女性奏者を拒否した」というセンセーショナルな書き方で取り上げられ、国際的な論争へと発展していきます。

5. カラヤン vs ベルリン・フィル ― 権力と民主主義の衝突

(1)カラヤンの激怒とツアー・録音のキャンセル騒動

団員投票の結果に対し、カラヤンは激しく反発しました。
彼にとっては、「自分が芸術的理由から選んだ奏者を、団員投票で否決された」ということ自体が、自らの権威を否定されたに等しい出来事だったからです。

カラヤンはオーケストラに対し、
「このままの決定を受け入れるのであれば、自分はツアーや録音を取りやめる」
といった強硬な姿勢を示したとされ、ベルリン・フィルにとっても無視できない経済的・イメージ的リスクが現実味を帯びました。

(2)オーケストラ側の主張 ― 「自主管理」と「サウンドの伝統」

一方、オーケストラ側にも言い分がありました。
ベルリン・フィルは自主管理オーケストラとして、団員自身がメンバー選考に大きな権限を持つ、という伝統を誇りにしてきました。
団員からすれば、カラヤンの一存で人事が決まってしまうのであれば、その伝統が損なわれてしまうことになります。

さらに、一部の団員は「ベルリン・フィル特有のサウンドは、慎重な世代交代と内部育成によって保たれてきた」という意識を持っており、
「外部からの強いプッシュで入ってきた奏者が、そのサウンドを変えてしまうのではないか」という不安もあったとされます。

(3)決裂と亀裂 ― カラヤン時代終焉への伏線

この対立は、単なる一人の奏者の採用問題を超え、
「誰がベルリン・フィルを支配するのか?」
という根本的な問いに発展しました。

最終的に、カラヤンはオーケストラ側と歩み寄ることができず、両者の関係には深い亀裂が入ります。
この亀裂は、その後1989年のカラヤン辞任へとつながっていく一連の対立の中でも、最も象徴的な出来事のひとつとして語られるようになります。

6. 事件の結末 ― マイヤーの退団とソリストへの転身

最終的に、この「サビーネ・マイヤー事件」は、マイヤー自身がオーケストラを離れるという形で決着します。
1983年、彼女はベルリン・フィルを退団し、ソロ・クラリネット奏者としての活動に専念する道を選びました。

結果として、マイヤーはその後、EMIなどから多数の録音をリリースし、世界で最も成功したクラリネット・ソリストの一人となります。
モーツァルト《クラリネット協奏曲》をはじめ、協奏曲・室内楽のレパートリーで高い評価を受け、「クラリネット・ソロという職業を定着させた一人」と評されるまでになりました。

皮肉なことに、ベルリン・フィルが「音色が合わない」として彼女を手放したことが、
ソリストとしてのキャリアを大きく押し上げたとも言えるのです。

7. 事件が残したもの ― ジェンダー、権力、そしてオーケストラの未来

サビーネ・マイヤー事件は、単なる人事トラブルではなく、いくつもの重要な問題を浮かび上がらせました。

1)女性奏者をめぐる意識の転換
ベルリン・フィルはこの事件以降も、ゆっくりではあるものの女性奏者の採用を進めていきます。
マイヤー自身はオーケストラを去りましたが、彼女のケースは「世界最高峰のオーケストラでさえ、女性を排除することはもはや許されない」という強いメッセージとして受け止められました。

2)カラヤンの権威とオーケストラの自律
この事件は、カラヤンの絶大な権限に対し、団員側が「ノー」を突きつけた象徴的な出来事でもあります。
誰が最終決定権を持つのか――指揮者か、オーケストラか。その問題は、その後の指揮者とオーケストラの関係を考える上で避けて通れないテーマになりました。

3)カラヤン時代終焉の一つの引き金
マイヤー事件が直接の原因であったわけではないにせよ、この騒動はカラヤンとベルリン・フィルの関係を確実に悪化させ、1989年のカラヤン辞任へ向かう中で大きな伏線の一つとなりました。

8. 終わりに ― 「事件」から見えるクラシック界の課題

サビーネ・マイヤー事件は、
・ジェンダー平等
・オーケストラの民主主義と伝統
・カリスマ指揮者の権力
といった、多くのテーマが絡み合った、20世紀後半クラシック界を象徴する出来事でした。

現在のオーケストラは「女性奏者だから」という理由で採用を拒否することはほとんどありません。
しかし、オーケストラのサウンド、組織文化、権力関係をどうバランスさせるかという課題は、形を変えつつも現在進行形で続いています。

サビーネ・マイヤー自身は、その後ソロ奏者として大成功を収めましたが、
ベルリン・フィルとカラヤンを揺るがせたあの「事件」を振り返ることは、今のクラシック界を考える上でも、まだまだ意味のある作業だと言えるでしょう。

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