来日公演・日本との関係

アバドとベルリン・フィル日本公演の記録|激戦チケットを手に入れた「第九」鑑賞体験

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ここでは、ヘルベルト・フォン・カラヤンとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(以下「ベルリン・フィル」)による日本公演ツアーの歩みを、ざっくり振り返ってみます。
1957年の初来日から、カラヤン最後の来日となった1988年5月まで、ベルリン・フィルは計10回日本を訪れました(1986年公演はカラヤンの体調不良により中止)。
プログラムの中心は、やはり日本人に圧倒的な人気を誇るベートーヴェン。そのほかチャイコフスキーやブラームスといった「鉄板レパートリー」が並び、主催者・聴衆の期待に真正面から応えるラインナップが組まれていました。

一方で、モーツァルトの三大交響曲(第39・40・41番)や、マーラー、ブルックナー作品は意外と少なめです。今でこそ「ベルリン・フィルといえばマーラー」「カラヤンといえばブルックナー」というイメージもありますが、
当時の日本ツアーでは、「何としてもホールを満員にするためのプログラム構成」が徹底されていたことがよくわかります。
結果として、日本の聴衆は世界最高峰オーケストラによるベートーヴェン、チャイコフスキー、ブラームスの“決定版”を、生で体験することができたわけです。

ベルリン・フィルのチケットを手に入れるまで

ベルリン・フィル日本公演パンフレット1

私自身がベルリン・フィルの演奏をナマで聴くことができたのは、1996年10月16日のことでした。しかも曲目は、憧れ続けていたベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」
今でこそオンライン予約が当たり前ですが、当時は電話予約がメイン。しかも「ベルリン・フィル公演」となれば、電話がつながること自体が“奇跡”に近い状態でした。

電話地獄のチケット争奪戦

過去には、チケットを取るためにわざわざ会社を休み、朝からひたすら電話をかけ続けたこともあります。
しかし、回しても回しても話し中。ようやく夕方になってつながったと思ったら、「すでに完売です」の一言。
当時、セゾン系に知り合いがいたので頼み込んでみたのですが、返ってきたのは
「ベルリン・フィルだけは勘弁してくれ」
という悲しい(?)回答でした。それほどまでに、ベルリン・フィルのチケットは特別扱いだったのです。

ベルリン・フィル日本公演パンフレット2

相模湖の公衆電話からのリダイヤル作戦

今となっては笑い話ですが、「地方から電話するとつながりやすい」という噂を真に受けて、車で相模湖まで出かけたこともありました。
朝10時頃、湖畔の公衆電話からひたすらリダイヤル。静かな湖畔で響いているのは、小鳥のさえずりと、公衆電話のプッシュ音と、話し中のツーツー音…。
もちろん、この作戦もそう簡単にはうまくいきません。

家族総動員とチケット屋、そしてようやくの一枚

別の日には、家族にも協力してもらい、複数の電話回線から同時にチャレンジしたこともあります。
それでも現実は厳しく、まともにつながる前に完売、というパターンがほとんどでした。

最終的には、チケットショップに会員登録し、手数料5,000円を支払ってようやく1枚確保することに成功。
今思えばかなり高い“上乗せ”ですが、それでもベルリン・フィルとカラヤンの系譜にあるオーケストラの第九をナマで聴けるなら安い、と本気で思っていました。

ベルリン・フィル日本公演パンフレット3

高すぎるS席、それでも忘れられない一夜

当時のS席は、たしか25,000円前後だったと記憶しています。
本場ドイツのチケットと比べると、正直かなり割高です。それでも、その一夜のために貯金を崩し、電話地獄をくぐり抜け、手数料まで払って手に入れた一枚でした。

結果的に、用意された席は2階席の斜め前方。オーケストラ全体が見渡せ、音のバランスも素晴らしい、まさに“狙っていた理想のポジション”でした。
照明が落ち、チューニングの音が静かにホールを満たし、やがて第九の冒頭が立ち上がってくるあの瞬間――。
「あぁ、ここまで苦労して本当に良かった」
と、心から思えた夜でした。

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