サントリーホールとカラヤン|“音の宝石箱”と呼ばれた東京の名ホール

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サントリーホールは、東京・赤坂にある日本を代表するクラシック専用ホールです。

1986年の開館以来、国内外の一流オーケストラや演奏家が登場する舞台として知られていますが、このホールを語るうえで欠かせない人物がいます。

それが、ヘルベルト・フォン・カラヤンです。

カラヤンはサントリーホールの設計者ではありません。しかし、大ホールの形状や音響思想、そしてホール全体の方向性に大きな影響を与えた人物として知られています。

サントリーホールは、東京に生まれた日本のホールでありながら、ベルリン・フィルハーモニーやカラヤンの音楽観とも深く結びついた存在です。

サントリーホールの基本情報

サントリーホールは、東京都港区赤坂1-13-1にあります。

大ホールの客席数は2,006席。ステージを客席が囲むように配置された「ヴィンヤード形式」のホールで、日本ではこの形式を本格的に採用した先駆的な存在です。

所在地東京都港区赤坂1-13-1
開館1986年
大ホール客席数2,006席
ホール形式ヴィンヤード形式
建築設計株式会社安井建築設計事務所(佐野正一、三宅晋)
音響設計永田穂(永田音響設計)
施工鹿島建設株式会社

サントリーホールは、単なる演奏会場としてではなく、日本にクラシック音楽を楽しむ文化を根づかせるための空間として構想されました。

演奏を聴くだけでなく、開演前の雰囲気、ホワイエで過ごす時間、休憩中の語らいまで含めて、音楽体験そのものを豊かにすることが意識されたホールです。

カラヤンがすすめたヴィンヤード形式

サントリーホールとカラヤンの関係で最も重要なのが、大ホールの形式です。

サントリーホールの大ホールは、客席がステージを囲むヴィンヤード形式で造られています。

ヴィンヤードとは「ぶどう畑」という意味で、客席が段々畑のように配置されることから、そう呼ばれます。

この形式を強くすすめたのがカラヤンでした。

サントリーホールの建設にあたって、サントリーの佐治敬三はヨーロッパの名ホールや音楽家の意見を参考にしました。そのなかで、カラヤンは大ホールにはヴィンヤード形式がよいと助言したとされています。

これは、カラヤン自身が長く音楽監督を務めたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地、ベルリン・フィルハーモニーとの関係を考えると自然な流れです。

ベルリン・フィルハーモニーもまた、舞台を客席が取り囲むヴィンヤード型のホールです。伝統的な額縁型のホールとは異なり、演奏者と聴衆の距離が近く、音がホール全体に立体的に広がる構造を持っています。

サントリーホールは、このベルリン・フィルハーモニーの考え方を東京に移したようなホールとも言えます。

ヴィンヤード形式が生む演奏者との近さ

ヴィンヤード形式の魅力は、客席とステージの距離感にあります。

一般的なホールでは、客席はステージの正面に向かって並びます。しかしヴィンヤード形式では、客席がステージの周囲に配置されるため、演奏者をさまざまな角度から見ることができます。

指揮者の表情、弦楽器奏者の動き、管楽器奏者の呼吸、打楽器奏者の準備まで、音楽が生まれる現場に近い感覚を味わえるのが特徴です。

カラヤンは、音楽を単に耳で聴くものとしてだけでなく、空間全体で体験するものとして考えていた指揮者でした。

その意味で、演奏者と聴衆の一体感を生みやすいヴィンヤード形式は、カラヤンの音楽観に合ったホール形式だったのでしょう。

音響設計の根底にあるカラヤンの思想

カラヤンの関与は、単なる形式の助言にとどまりません。

サントリーホールでは、設計段階から音響に徹底してこだわりました。永田音響設計が関わり、精密な模型を使った音響実験なども重ねられています。カラヤンは設計段階からこのプロジェクトに深い関心を示し、ホールの響きのあるべき姿について熱心な助言を与えました。

クラシック音楽、とくにオーケストラの響きは、ホールによって大きく変わります。

同じ楽団、同じ指揮者、同じ曲であっても、ホールが変われば音の印象はまったく違います。音が硬く感じられるホールもあれば、柔らかく包み込むように響くホールもあります。

カラヤンは録音や映像にも強いこだわりを持った指揮者でした。音のバランス、響きの美しさ、空間の広がりに敏感だったカラヤンが、サントリーホールの音響思想の拠り所となったことは、このホールの性格を考えるうえで非常に重要です。

「オルガンのないホールは家具のない家」

サントリーホールの大ホールで目を引くのが、正面に設置された巨大なパイプオルガンです。

このオルガンも、カラヤンとの関係を抜きに語れません。

カラヤンは、コンサートホールにオルガンがないことについて「家具のない家」のようなものだという趣旨の言葉を残したとされています。

この言葉は、サントリーホールのオルガン設置に大きな影響を与えました。

その後、プロジェクトチームはヨーロッパ各地のオルガンを調査し、最終的にオーストリアのリーガー社に発注します。

サントリーホールのオルガンは、5,898本のパイプを持つ大規模なものです。

オルガンは単なる装飾ではありません。ホール全体の象徴であり、クラシック音楽の伝統を受け継ぐ存在でもあります。

カラヤンの一言が、サントリーホールの視覚的な印象と音楽的な格を大きく高めたと言えるでしょう。

開館時のベルリン・フィル公演

サントリーホールは1986年10月に開館しました。

開館記念のシリーズでは、国内外の名演奏家やオーケストラによる公演が行われました。

そのなかでも象徴的だったのが、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の招聘です。

この公演は当初、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮による演奏会として予定され、日本中のファンが期待を寄せていました。

しかし、カラヤンは自身の体調不良により惜しくも来日を断念せざるを得なくなります。本人の登壇は叶わなかったものの、公演自体は中止されることなく、小澤征爾やヴォルフガング・サヴァリッシュといった名指揮者たちが代役として指揮台に立ち、新ホールの誕生を華々しく祝福しました。

カラヤン本人が指揮台に立てなかったことは残念ですが、開館期にベルリン・フィルが登場したこと自体が、サントリーホールとカラヤン、そしてベルリン・フィルの深い関係を示しています。

カラヤンがサントリーホールでベルリン・フィルを振った2つの公演

開館時の無念から約1年半後、ついにファン待望の瞬間が訪れます。1988年5月、カラヤンはベルリン・フィルとの来日公演で、自身が構想を後押ししたサントリーホールの指揮台に立ったのです。これがカラヤンにとって、生涯最後の来日公演となりました。

サントリーホールでカラヤンが指揮をしたのは、1988年5月2日と5月5日の2公演です。

日付会場主な曲目
1988年5月2日東京・サントリーホールモーツァルト:交響曲第29番
チャイコフスキー:交響曲第6番《悲愴》
1988年5月5日東京・サントリーホールモーツァルト:交響曲第39番
ブラームス:交響曲第1番

曲目を見ると、カラヤンの晩年を象徴するような重みがあります。モーツァルトの端正な交響曲に、チャイコフスキーの《悲愴》、そしてブラームスの交響曲第1番。いずれも、カラヤンが長年磨き上げてきた至高のレパートリーです。

特にブラームスの交響曲第1番は、ベルリン・フィルの厚みのある響きと、カラヤンの大きな音楽作りがよく合う作品です。サントリーホールのヴィンヤード形式の空間で、その響きがどのように立ち上がったのかを想像すると、非常に興味深い公演だったと言えます。

また、チャイコフスキーの《悲愴》は、カラヤン晩年の美学を強く感じさせる作品です。輝かしい音響だけでなく、沈み込むような弱音や、弦楽器の深い響きが求められる曲でもあります。

カラヤンが助言したホールで、カラヤン自身がベルリン・フィルを指揮した。この事実は、サントリーホールを単なる「カラヤンゆかりのホール」ではなく、実際にカラヤンの音が響いた場所として位置づけるものです。

カラヤンが残した「音の宝石箱」という言葉

この1988年の公演で実際にサントリーホールのステージに立ったカラヤンは、そのホールの響きを「音の宝石箱(響きの宝石箱)」という表現で大絶賛しました。

この言葉は、サントリーホールを語るうえで非常に象徴的です。

カラヤンほど音に厳しい指揮者が、サントリーホールの響きを高く評価したことは、このホールにとって大きな名誉でした。

「音の宝石箱」という表現には、単に音が美しいというだけでなく、音の一つひとつが磨かれ、空間の中で輝くように響くという印象があります。

きらびやかでありながら、派手すぎない。音の粒が見えるように立ち上がり、ホール全体がひとつの楽器のように響く。

そのようなサントリーホールの魅力を、カラヤンは短い言葉で表現したのかもしれません。

アーク・カラヤン広場

サントリーホールの前には「アーク・カラヤン広場」があります。

これは、サントリーホールの設計に助言を与えたカラヤンの名を冠した広場です。

1998年、カラヤン生誕90周年を記念して命名されました。

カラヤンの名前を冠した広場は、ヨーロッパにも存在します。東京・赤坂にその名が残されていることは、サントリーホールとカラヤンの関係の深さを示しています。

サントリーホールを訪れるとき、ホールの建物だけでなく、この広場にも注目したいところです。

東京の一角にカラヤンの名が刻まれていることは、日本のクラシック音楽史においても特別な意味を持っています。

サントリーホールは「カラヤンのホール」なのか

サントリーホールを「カラヤンが造ったホール」と言い切るのは正確ではありません。

実際に建設を推進したのは佐治敬三であり、建築設計や音響設計には多くの専門家が関わっています。

しかし、サントリーホールの大ホールがどのような思想を持つべきか、どのような響きを目指すべきかという点で、カラヤンの存在は非常に大きかったと言えます。

ヴィンヤード形式の採用。

オルガン設置への影響。

音響へのこだわり。

ベルリン・フィルハーモニーを思わせる空間。

そして、完成後にカラヤン自身が残した賛辞。

これらを考えると、サントリーホールは日本における「カラヤンゆかりのホール」と呼ぶにふさばしい存在です。

サントリーホールで聴くカラヤンゆかりの音楽

サントリーホールでカラヤンを思い浮かべるなら、やはりベルリン・フィルとの関係が深い作曲家の作品を聴きたくなります。

ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、リヒャルト・シュトラウス、チャイコフスキーなどは、カラヤンが得意とした代表的なレパートリーです。

サントリーホールの響きは、オーケストラの厚みや弦楽器の美しさを味わうのに向いています。

特にブラームスやブルックナーのように、響きの層が重なっていく音楽では、ホール全体が鳴っているような感覚を味わえるでしょう。

カラヤンが理想とした滑らかで重厚なオーケストラ・サウンドを想像しながら聴くと、サントリーホールという空間の意味がより深く感じられます。

東京に生まれたクラシック専用ホールの意味

サントリーホールが開館した1980年代、日本ではクラシック専用ホールの存在はまだ限られていました。

それまでの日本のコンサート会場は、多目的ホールとして使われる場所も多く、オーケストラの響きだけを考えて設計された空間は決して多くありませんでした。

そのなかでサントリーホールは、クラシック音楽のための本格的なホールとして誕生しました。

これは、日本のクラシック音楽文化にとって大きな転換点でした。

海外の一流オーケストラが日本で演奏する場としても、国内のオーケストラが本格的な響きを追求する場としても、サントリーホールは重要な役割を果たしてきました。

そこにカラヤンの助言が加わっていることは、このホールの物語をより特別なものにしています。

まとめ

サントリーホールは、日本のクラシック音楽文化を大きく変えたホールです。

そして、その背景にはヘルベルト・フォン・カラヤンの助言と存在感がありました。

カラヤンは、サントリーホールにヴィンヤード形式をすすめ、音響への考え方にも影響を与え、オルガン設置にも関わる重要な言葉を残しました。

完成後にはベルリン・フィルとともにこのホールを訪れ、その響きを「音の宝石箱」と表現しました。

サントリーホールは、東京にありながら、ベルリン・フィルハーモニーやカラヤンの音楽観とつながる場所です。

カラヤンを知るうえでも、日本のクラシック音楽史を知るうえでも、サントリーホールは欠かせないホールと言えるでしょう。

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